東京・白金台にある東京都庭園美術館。ここは1933年に完成した「アール・デコ」様式の建築を今に伝える貴重な場所として知られている。その名の通りゆったりとした庭園が目の前に広がっていて、これから桜をはじめさまざまな花や新緑が景色を彩る季節がやってくる。

東京都庭園美術館 芝庭

もともとは旧皇族であった朝香宮鳩彦王(あさかのみや やすひこおう)夫妻が自邸として建設したもの。ここがアール・デコ様式でデザインされたのには理由がある。

鳩彦王は1922年フランスに留学したが、交通事故に遭い、看病のため合流した妻の允子内親王とそのまま3年間フランスに滞在。1925年にパリで開催されたいわゆる「アール・デコ博覧会」(現代装飾美術・産業美術国際博覧会)で、世界を席巻する時代の先端様式を目のあたりにし、心動かされてしまった。

夫妻は日本に帰国すると、自邸の建設にあたってフランス人芸術家のアンリ・ラパンに主要な部屋の設計を依頼する。建築を担当した宮内省内匠寮の技師、権藤要吉も夫妻の思いを汲んで、ヨーロッパの近代建築をとことん研究。日仏のデザインチームや職人が総力をあげて創りあげたのがこの旧朝香宮邸だった。

旧朝香宮邸正面玄関ガラスレリーフ扉(部分)1933年 東京都庭園美術館蔵

その入口を飾る美しいガラスの女性像のレリーフを作った人こそが、ルネ・ラリック。フランスのガラス工芸家でアール・デコ様式の代表的なアーティスト。現在、彼の作品など約220点を集めた展覧会「北澤美術館所蔵 ルネ・ラリック アール・デコのガラス モダン・エレガンスの美」がまさにここ東京都庭園美術館で開催されている。

当時の英知を集めて造られた、まるで建物そのものが芸術作品のような建築。しかも生活用品にガラスの美しさを採り入れて、日常をアートの空間に変えたルネ・ラリック本人の作品が実際に使われている展示室での開催。この展覧会の舞台としてこれほどふさわしい場所もないだろう。

東京都庭園美術館 本館 大客室

19世紀末から20世紀にかけて、フランスには2人の有名なガラス工芸家がいた。エミール・ガレ、そしてルネ・ラリック。エミール・ガレは、アール・ヌーヴォーの旗手として、植物や虫など自然のモチーフや色彩豊かで曲線の美しいガラス作品を数多く発表。そののち、彼とは対照的にガラスの透明さを活かし、のちにアール・デコと呼ばれる新しいスタイルを切り開いたのがルネ・ラリックだった。

花瓶《ナディカ》1930年 北澤美術館蔵 撮影:清水哲郎

ルネ・ラリックが本格的にガラス制作に身を投じたのは、なんと50歳を超えてから。キャリアの最初は宝飾デザイナーとして活躍していた。それはアール・ヌーヴォー全盛期。ラリックもまた自然のモチーフや曲線を多用したデザインで話題を集め、1900年のパリ万博でラリックはグランプリを受賞して、工芸家としての頂点を極める。しかしあまりにも個性的なアール・ヌーヴォー様式のアクセサリーは、ファッションがシンプルになっていくのと同時に流行が静まり、ルネ・ラリックはすでに一部の作品に採り入れていたガラスを使って、香水瓶、花瓶、置き時計、テーブルウェアなどを手がけるようになる。

時代に敏感な彼は、またたく間にガラス工芸家としても知られるようになり、1925年にパリで開催された「アール・デコ博覧会」で、ひとつのパビリオンを担当。最先端の電気照明を使った巨大なガラスの噴水塔や、建築装飾、数々のガラス作品で席巻した。

香水瓶《彼女らの魂》ドルセー社 1914年 北澤美術館蔵 撮影:尾形隆夫

今回の展覧会では、世界でも屈指のガラスコレクションをもつ北澤美術館所蔵のラリック作品から220点を厳選して展示する。ルネ・ラリックは、豪華客船やオリエント急行の客車などの装飾も手がけた一方で、室内装飾でも数々の作品を提案して、当時新しい顧客としてニーズが増えていた一般市民の食卓まで華やかに彩ってきた。

多くの人により美しいものを・・・。その思いでガラスの美の可能性を広げていったラリック。フランス人たちが愛するL’art de vivre(生活の芸術)のスタイルは、彼によって大きくアップデートされたと言ってもいい。展示室となっている旧朝香宮邸の大食堂には、ラリックのテーブル・セッティングが紹介されているが、当時のリアルな生活文化を見るようで興味深い。

香水瓶《牧神のくちづけ》 モリナール社 1928年(右から3番目)ほか香水瓶各種 北澤美術館蔵 撮影:清水哲郎

他にも、この時代に大きく進化した自動車の鼻先につけて所有者たちが個性を競った「カー・マスコット」と呼ばれるオーナメント、書斎を彩るインク壺、ペーパーウェイトなどが並ぶ。中でも香水商フランソワ・コティの出会いから生まれた香水瓶は彼の代表作といえるもので、小さいながらラリックデザインの粋を集めた繊細な造形は見ごたえがある。目に見えない香りの魅力を視覚で伝えようとした思いがうかがえる。

シール・ペルデュ水差《小さな牧神の顔》1922年 北澤美術館蔵 撮影:清水哲郎

ルネ・ラリックの作品を見ているといくつかスタイルの違いがあることがわかるだろう。これはガラスの作法によるところも大きい。上記の作品は「シール・ペルデュ」と呼ばれる特殊な製法による。多くの作品が、あらかじめ模様が彫り込まれた鋳型の中に溶けたガラス種を吹き込み、または型押しして作られるが、このシール・ペルデュは、蝋(ろう)で原型を作り、それを耐火粘土で覆ったあとで全体を熱して蝋を溶かし流す。その空洞にガラスを流し込み、冷やしたあとに型を砕いて作品を取り出す、という工程でようやく完成する。原型の蝋も型もなくなるため、まさに一度きり1点ものの作品。ブロンズ彫刻と同じ鋳造法で、制作者の指紋まで写し取るといわれるほど精密な表現が可能になるという。

テーブル・センターピース《三羽の孔雀》(部分)1920年 北澤美術館蔵 撮影:清水哲郎

展覧会のもうひとつの見どころは美術館新館の展示。ここでは朝香宮夫妻がパリで感銘を受けたという1925年のアール・デコ博覧会の華々しい様子が描かれる。またその前の1921年に、昭和天皇が皇太子時代に外遊のパリ土産として持ち帰り、内閣閣僚全員に下賜したラリック製の花瓶も展示。大正時代の日本に当時の華やかなフランス文化がどれだけインパクトがあったかを物語っているといえそうだ。

そして展覧会でここ庭園美術館を訪れたなら、なによりこの建築と庭そのものの特別さにもふれてほしい。かつての風景が東京から失われていくなか、ここだけは門の先に周囲の風景や宮邸の優雅なしつらえまで、やさしく上質な時間が漂っている。都心で許されたしばしのタイプスリップをゆっくりと味わいたい。

取材&文・杉浦岳史

北澤美術館所蔵 ルネ・ラリック 

アール・デコのガラス モダン・エレガンスの美

会期:2020年4月7日(火)まで

開館時間:10:00~18:00(桜の季節 3/27、3/28、4/3、4/4は20:00まで開館)※入館は閉館の30分前まで

休館日:毎月第2・第4水曜日

場所:東京都庭園美術館(東京都港区白金台5-21-9)

入館料:一般1100円ほか
ウェブサイト:https://www.teien-art-museum.ne.jp/

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