江戸時代の絵画といえば、葛飾北斎や歌川広重などの浮世絵がすぐに思い浮かぶだろう。あるいは狩野派、琳派、「奇想の絵師」と呼ばれた伊藤若冲などを思い起こす人もいるかもしれない。しかし、それらと並ぶ「もうひとつの江戸絵画」として海外にも知られつつあるジャンルがあるのをご存じだろうか。

それがいま、東京ステーションギャラリーで展覧会が開催されている「大津絵」(おおつえ)だ。


まずは、この「大津絵」とは何か。簡単に概略を辿ってみよう。

「大津絵」の「大津」は、琵琶湖のほとり、現在の滋賀県の県庁所在地・大津市のこと。ここは江戸から西へと向かう東海道が、京都の三条大橋に着くひとつ手前、つまり東海道五十三次でいえば53番目の宿場町にあたる。当時の大津はほかの街道も交差し、にぎやかに旅人や巡礼者たちが行き来する道筋。ここで江戸時代の初期から「みやげ物」として作られていたのが「大津絵」だった。

「外法梯子剃」《大津絵図鑑》より 福岡市博物館蔵

「大津絵」は、おもに型紙や版木押しを使って色の部分を塗ったあとに肉筆で素早く仕上げる絵で、作家のサインもない、いわば民衆絵師たちの絵画。初期には庶民のニーズにあわせた仏画が主流だったのが、やがて風刺画や人間のおろかさをユーモラスに描いた教訓絵など、独特の世界観を持つようになる。毎日のように次から次へと量産していくものだけに、手慣れた絵師たちによるのびのびした輪郭のラインが特徴で、どこか面白みと愛嬌のある表現は見ているだけで楽しい。

たとえば上の作品は、七福神の中の大黒天が、同じく七福神の外法(げほう・福禄寿の別名)の長い頭にハシゴをかけて毛を剃っている作品《外法梯子剃(げほうのはしごぞり)》。もともと長い頭は福禄寿の特長だが、それが大きくなりすぎて少々手に余るご様子。まるで「福はうれしいが欲張らずほどほどに」と、私たちに語りかけているかのようだ。

しだいに街道が整備されて旅人が増えると、大津絵もさらに人気が出て、最盛期には100種以上の画題が作られる。その後は絵柄が集約されて「大津絵十種」と呼ばれる10種類の画題が定番ものとなって受け継がれた。上記の「外法梯子剃」もこの「大津絵十種」に残された画題のひとつだ。

《鬼の念仏》笠間日動美術館蔵

もうひとつ「大津絵十種」の代表的な画題が、こちらの《鬼の念仏》。なんとも恐ろしい顔をした鬼が僧衣をまとい、念仏を唱えてお布施を乞いながら歩いている。「鬼の住まいは人の心の内にある」と言われるが、見た目には慈悲のある姿が実は鬼だった、ということから、形だけの偽善者を表す風刺画として人気を得た。《鬼の念仏》は、赤ちゃんの夜泣きにも効き目があったらしいが、確かにこの形相は「泣く子も黙る」凄みがある。


こうした味のあるキャラクターが揃った大津絵には、歌川国芳など名だたる浮世絵師たちも魅せられ、彼らの作品に大津絵の画題が取り入れられた。さらに明治以降になると、大津絵は街道の名物みやげとしての役割を終えていくが、今度は多くの文化人たちがその独特の世界観に惹きつけられていくことになる。

その中には、明治・大正期にかけての文人画家として知られる富岡鉄斎、洋画家の浅井忠、さらに「民藝運動」の創始者である柳宗悦など、当代きっての審美眼の持ち主がいた。彼らはおもに古い大津絵の価値を認め、それを所蔵していった。その傾向は太平洋戦争後も続き、洋画家の小絲源太郎や染色家の芹沢銈介らが、数多くの大津絵を収集した。

《提灯釣鐘》日本民藝館蔵 (旧蔵者歴:浅井忠→柳宗悦)

柳宗悦は、日本の民衆の中から生まれた工芸品など美の世界を内外の人々に紹介しようと「民藝」という概念を提唱したことで知られる。彼は、芸術家という個人によらず、無名の作者たちが作りあげた大津絵を「民藝」と同列の「民画」の代表として位置づけ再評価、研究した。


実用的なみやげ物として広まったがゆえに、残念ながら江戸時代に作られた大津絵の多くは散逸し、今日まで残されている数は多くないという。こうしたなか、東京ステーションギャラリーで開催の『もうひとつの江戸絵画 大津絵』展は、上述した近代日本の目利きたちが集め、大切に受け継いできたもの。つまり来歴の明らかな、いわば名品ばかり約150点が集められた。

《猫と鼠》『古筆大津絵』より 笠間日動美術館蔵 (旧蔵者歴:富岡鉄斎→小絲源太郎)

この《猫と鼠》も大津絵にはよく描かれる画題で、宿敵のはずの猫と鼠が酒盛りをしている。この絵では鼠が盃を傾けているが、ほかに猫が呑んでいるパターンもある。本来なら「食い、食われる」関係の両者が、相手に酒を呑ませて何をたくらんでいるのか。このあとどうなるのか。そしてこれが人間に置きかえるなら・・・といろいろ想像してしまう。

この絵は『古筆大津絵』と題された画帖におさめられたもので、富岡鉄斎が所有していたことがわかっていて、その後同じ洋画家の小絲源太郎に渡った。小絲が秘蔵した大津絵は、笠間日動美術館がまとめて収蔵していて、今回の展覧会ではそのコレクションが一挙初公開されることでも話題を集める。

《傘さす女》笠間日動美術館蔵

こちらの《傘さす女》も小絲源太郎のコレクションに残されたもの。これまで見てきた作品の雰囲気とは違った、いわゆる「美人画」。こうした繊細な色彩と洗練された構図の作品も大津絵には見られる。制作に関わった絵師たちの層の厚みとそのレベルがわかるというものだ。のちに《麗子像》で知られる洋画家の岸田劉生もこの絵に魅了され、1926年に自ら著した書籍『初期肉筆浮世絵』でカラー1ページを使って紹介している。


このように大津絵は、後世の画家やクリエイター、審美眼を持った研究家、批評家たちに愛された。それはきっと、絵画を学び極める画壇からは生まれ得ない、自由で生き生きとした人間性とユーモアの表現を感じたからではないだろうか。江戸という時代が生んだ独特の空気や、旅人たちでにぎわった宿場町ならではのそこはかとないパワー、職人絵師たちの卓越した技など、さまざまな要素が集約されて、大津の町で花ひらいた民衆の絵画文化。それこそが、ほかにない大津絵の魅力だといえそうだ。


かつてはピカソが《猫と鼠》の図柄の大津絵を所蔵し、スペインの芸術家ミロなどヨーロッパの画家たちをひそかに魅了してきた大津絵の世界は、いままた世界に知られつつある。2019年にはフランスのパリ日本文化会館でヨーロッパ初の大規模な展覧会も開催された。もうすぐ日本美術の代表のひとつになるかもしれないこの「大津絵」。今のうちに、ぜひ貴重な実物を見ておきたい。


《槍持鬼奴》個人蔵



もうひとつの江戸絵画 大津絵 展

会場:東京ステーションギャラリー

会期:2020年11月8日(日)まで

開館時間:10:00〜18:00 ※金曜日は20:00まで開館 ※入館は閉館の30分前まで

休館日:月曜日(ただし11月2日は開館)

チケット購入:ローソンチケット

(ご来館前に日時指定のローソンチケットをご購入ください)

チケット購入へのリンク・詳細はウェブサイトへ

http://www.ejrcf.or.jp/gallery/

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