東京・文京区弥生。東京大学の緑濃いキャンパスのほとりに、都心とは思えないほど落ち着いた界隈がある。そこに女性たちを中心に静かな人気を集める美術館があるのをご存じだろうか。

竹久夢二美術館外観

それは、竹久夢二美術館。大正時代を中心に活躍した画家であり、詩人でもあった竹久夢二(たけひさゆめじ)を偲ぶ場所。「夢二式美人」ともいわれる独特のスタイルをもった彼の美人画は、おそらく誰でもどこかで見たことがあるはずだ。

この夜ごろ 昭和初期

「大正時代」は、年号では約15年の短い時期だけに歴史の表舞台に出てくることは多くないけれど、実はその前後をあわせ社会が大きく変化した時でもあった。明治から進められた日本の近代化が浸透するとともに、文化の面でも活動写真が人気となり、電話や電報が発達。新聞や書籍はもちろん、大衆雑誌も普及した。さらに「大正デモクラシー」を背景に、個人の精神を尊重する空気が生まれてくると、自由や個性を楽しむ風潮が強くなり、西洋文化の影響もあって絵画やデザイン、音楽などあらゆる文化が開花し、生活様式までもが変わっていく。のちに言う「大正ロマン」の始まりである。

とりわけ明治後期に創刊された婦人雑誌や少女雑誌が大正時代になって出版が相次ぎ、少女文化や女性のファッションに人々が注目。それにあわせて「抒情画(じょじょうが)」と呼ばれる、新しいスタイルの女性を描いたイラストレーションが人気を集めた。

その代表的な作家こそが、竹久夢二だった。

竹久夢二

49年という短い生涯の中で竹久夢二が描いた作品は数限りない。彼の描く美人画の姿は、きりりとした美人ではなく、どこか物憂げで伏し目がち。女性の内面や機微をも感じさせる表現は当時の女性たちの間で評判となり、時代を超えて今も人々の心を惹きつける。

セノオ楽譜「蘭燈」1921年

夢二の才能は、日常の美を追い求めることにも発揮された。千代紙や絵封筒、半襟、浴衣のデザインなど、夢二デザインの商品を販売する港屋絵草紙店を1914年(大正3年)日本橋に開店。児童雑誌や詩の挿絵、本の装幀や広告までも手がけた。今なら売れっ子グラフィックデザイナー、あるいはアートディレクターといった感じだろうか。ただ彼の場合は、すべてを一人でこなしてしまったところが驚きだ。

そんな彼のマルチな才能が花開いたジャンルの一つが「楽譜」の世界だった。こうした夢二が手がけた「楽譜」の表紙絵にフォーカスをあてた展覧会が、いま竹久夢二美術館で開催されている。

セノオ楽譜「薔薇は散り行く」1926年

さまざまな文化が花開いた大正時代、音楽の世界で人気を集めたのは意外にも夢二画だった。なにしろそれはレコードや蓄音機もまだ高嶺の花だった頃。人々は楽譜を見て曲をイメージし、あこがれ、買い求めて演奏する。画家の表紙を集める愛好家や女学生のファンもいたといい、音楽を楽しむ手段として、楽譜は現代よりもずっと身近な存在だった。

セノオ楽譜「アヴェマリヤ」1925年

今のCDのアルバムジャケットのような役割だったのだろうか。楽譜の表紙を飾るイラストレーションやデザインが注目され、竹久夢二はその楽曲が表現する世界観や国の文化、曲調のようなものまで視覚面で多彩に、かつあらゆる技法を用いてさまざまに描き上げた。

セノオ楽譜「心と花」1926年

大正時代、楽譜の中でもっとも多い発行部数を誇っていた「セノオ楽譜」。妹尾幸陽によって設立されたセノオ音楽出版社が1915年(大正4年)から刊行したピース楽譜と呼ばれるシリーズでは、当時流行した西洋の歌劇(オペラ)や日本の若手作曲家による作品などが収められた。夢二は約270点以上におよぶセノオ楽譜のイラストレーションを担当したという。

セノオ楽譜「みやげ」1924年

当時の欧米趣味を思わせるようなファッショナブルな異国の少女。アールヌーヴォー様式を意識した植物の図案。カラフルな色彩の連続模様、レタリング、飾り枠にも趣向をこらした。その画風は多彩で、夢二のマルチな才能とその貪欲な好奇心や発想力が見て取れる。

セノオ楽譜「言われぬ嘆き」1924年

詩や童謡の創作にも力を注いだ竹久夢二にとって、この仕事への思い入れは強かったと想像できる。自身が詩を手がけた曲の楽譜に絵を描いているケースも多い。有名なのは、彼が避暑に訪れた千葉県銚子で出会った少女、長谷川賢(かた)への想いから生まれた有名な詩「宵待草(よいまちぐさ)」。これものちに曲がつけられ夢二自身の絵による楽譜が発売された。本展では、制作に力の入った夢二が「絵が描けたので午前3時に訪れたい」と連絡してきた、という妹尾幸陽のエピソードも紹介されている。

セノオ楽譜「たそがれ」1922年

女性画の印象が濃いが、実際には日本画、水彩画、木版画、そしてデザインまで、ジャンルを超えて独自の芸術と世界観を創りあげた竹久夢二。約100年前に活躍した類い稀なクリエイターの力量と本気度を、ぜひ東京の隠れ家のような美術館で発見してほしい。



「レトロかわいい♡ 楽譜表紙イラストレーションズ ー 夢二が描く大正ロマンの音楽イメージ ー」

竹久夢二美術館
2019年10月4日(金)~12月25日(水)月曜休館
開館時間:午前10時~午後5時(入館は4時30分まで)
入館料:一般900円、大・高生800円、中・小生400円
※弥生美術館と二館あわせて観覧可能
ウェブサイト:http://www.yayoi-yumeji-museum.jp/

(文・杉浦岳史)

参考文献:『大正ロマン手帖』石川桂子(竹久夢二美術館学芸員)河出書房新社

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