イギリスのテート美術館から、およそ120点の作品が日本へ。

英国といえば、ロイヤルファミリーや伝統的な大学の数々、歴史ある美術館など、トラディショナルなイメージがあるかもしれない。けれど一方で、パンクやロック、ストリートカルチャー、奇抜なファッションなど、伝統的な体制に反抗するかのような文化もまた、世界を惹きつけていたりする。

トレイシー・エミン《モニュメント・バレー(壮大なスケール)》1995-97年、テート美術館蔵 Photo: Tate © Tracey Emin

そんな革新的な英国のスピリッツが、美術の世界で華ひらいた時代。それが、1980年代後半から2000年代初頭にかけてのアートシーンだったといえるかもしれない。その流れは、世界に衝撃を与え、その後のアートのスタイルにも大きな影響を与えることになっていく。

現在、東京・六本木の国立新美術館で開催中の「テート美術館 — YBA&BEYOND 世界を変えた90s 英国アート」展は、 ここで活躍した芸術家たちにフォーカスした、日本では貴重な展覧会だ。

「テート美術館 — YBA&BEYOND 世界を変えた90s 英国アート」国立新美術館、2026年、展示風景

なぜ、90年代の英国アートが革新的だったのか。

こうした潮流が生まれたのには、当時の英国の複雑な環境がある。1980年代の英国は、女性首相のサッチャー政権の政策もあって、社会のあり方が大きく揺れた時代だった。経済が回復する一方で失業率が上昇し、格差が拡大、また移民の増大によって多文化社会が広がり、どことない不安や緊張感が国民の間で広がっていたという。

ブラック・オーディオ・フィルム・コレクティヴ《ハンズワースの歌》1986年、テート美術館蔵 © Smoking Dogs Films; Courtesy Smoking Dogs Films and Lisson Gallery

そんななか、従来の美術の枠組みやスタイルを問い直し、それを軽やかに越え、作品の制作や発表において実験的な試みをする美術家たちが登場した。その象徴といえるのが「ヤング・ブリティッシュ・アーティスト(YBA)」と呼ばれた作家たちや、その同時代に活躍したアーティストたちだった。

彼らは、ポップミュージックやファッションなどの大衆文化、社会構造の変化、あるいは個人的な物語などをテーマに、絵画、彫刻、写真、映像、インスタレーションなど、ありとあらゆる手法を用いて独創的な作品を制作していった。また、自ら展示を企画して主導的に話題を集めるなど、起業家精神に富んだ自由な姿勢は、美術界やメディアから注目され、同時に、大きな議論も呼んだ。

テート美術館の一角をなす近現代美術館「テート・モダン」Photo © Tate

「テート美術館 — YBA&BEYOND 世界を変えた90s英国アート」展は、約60名の作家によるおよそ100点の作品を通じて、この革新と創造性が混じり合った90年代の英国アートシーンの軌跡を追いかける。それはまるで当時のロンドンの空気やアート界のダイナミズムを、そのまま運んできたような展覧会。現代アートはわかりにくいと思っている人にも、その見方を知る「入口」になりそうだ。

YBAの象徴、ダミアン・ハーストが私たちに問いかけるものとは?

写真左:フランシス・ベーコン《1944年のトリプティック(三幅対)の第2ヴァージョン》1988年、テート美術館蔵「テート美術館 — YBA&BEYOND 世界を変えた90s 英国アート」国立新美術館、2026年、展示風景

展覧会は、巨匠フランシス・ベーコンが晩年に描いた圧倒的な作品《1944年のトリプティック(三幅対)の第2ヴァージョン》(1988年)で幕をあける。彼は20世紀美術史において最も重要な画家の一人。人間と獣が混ざり合った生き物の姿は、時代の混迷を象徴的に示しているとされ、英国社会の複雑な変化と向き合う90年代の若いアーティストたちにとっての精神的なバックボーンとなった。

このベーコンに影響を受けた「YBA」の中心的存在といえるのが、ダミアン・ハースト。日常的な物や身体、動物の遺骸などを扱い、生と死を直接的に提示する作品で世界的に知られる存在だ。有名なのは、サメをホルマリンに漬けて巨大なガラスケースに入れ、生と死を閉じ込めた作品だろう。今回展示された作品《後天的な回避不能》は、黒枠のガラスケース内に、灰皿と吸い殻をオフィステーブルに置いて密閉。現代社会で避けることのできない死をイメージさせた。

ダミアン・ハースト《後天的な回避不能》1991年、テート美術館蔵 「テート美術館 — YBA&BEYOND 世界を変えた90s 英国アート」国立新美術館、2026年、展示風景

静かで、何の変哲もないオブジェなのに、観る人がそこにゾクッとするような不安を感じるのはなぜか。おそらく私たち自身にも心あたりのある依存や日常のはかなさ、その先にある死、つまりは現実を直視させられるからだろう。

アートに、社会のあり方を問い、現実を考えさせる装置という役割を与えた、この時代の潮流を象徴する作品の一つといえるかもしれない。

都市という舞台の公共と個人の距離。

ロンドンをはじめとする都市の風景も、現代アートの恰好の舞台になった。産業構造が変化する中で、古い街並みは破壊され、人の意識や関係性も大きく変わっていった時代。ジリアン・ウェアリングの《ダンシング・イン・ペッカム》は、彼女の頭の中で流れる音楽に合わせて一心不乱にダンスする様子に、都市の通行人がどう反応するのかを映像にした作品だ。

ジリアン・ウェアリング《ダンシング・イン・ペッカム》1994年 © Gillian Wearing, courtesy Maureen Paley, London; Regen Projects, Los Angeles and Tanya Bonakdar, New York

もし劇場のステージの上ならば観客は注目するのだろうが、それが公共の場になると、人々は困惑するか、無関心のままに通り過ぎていく・・・。正常な振る舞いとそうでない振る舞いの境目は、どこにあるのか。彼女がしたいことをしても許される「私的な空間」はどこまでなのか。同じことを2026年の今、東京の路上でしたら、人々はどんな反応をするだろうか・・・。作品は、さまざまな問いを私たちに投げかける。

アートと音楽、サブカルチャーが混ざり合う時代へ。

音楽やファッションとの距離の近さ。これも90年代英国アートの特徴の一つだろう。クラブカルチャーや雑誌の文化、あるいは世界を席巻したいわゆる「ブリットポップ」のエネルギーと結びつき、アートは美術館の外へと広がっていった。

ジュリアン・オピー《ゲイリー、ポップスター》1998-99年、テート美術館蔵 © Julian Opie

伝説的なUKロックバンド「blur ブラー」のベスト・アルバムのジャケットを描いたアーティスト、ジュリアン・オピーもその象徴的な存在だ。彼の普遍的なキャラクターが描かれた作品《ゲイリー、ポップスター》は、人間の顔を極端にデジタル化、単純化することで、平面的な現代の肖像画を表現。感情のない人間描写が、かえって新鮮なインパクトを私たちに与えた。

ヴォルフガング・ティルマンス《座るケイト》1996年、テート美術館蔵 © Wolfgang Tillmans, courtesy of Maureen Paley, London; Galerie Buchholz; David Zwirner, New York

一方、ヴォルガング・ティルマンスは、90年代に一世を風靡したストリートカルチャーやクラブシーンといった文化の渦の中へ自ら飛び込み、当時の若者たちのリアルな姿を繊細な感性で写真に収め続けた。「美しいもの」や「決定的な瞬間」ではなく、時代を呼吸するように、なにげない日常、今の私たちがスマートフォンで撮るような身近な断片を、そのままアートの域に押し上げたのが新しかった。ティルマンスは、昨年パリのポンピドゥー・センターで大規模回顧展が開催されるなど、世界的に脚光を集めている美術家。ぜひその動向を注目しておきたい。

ヴォルフガング・ティルマンスの作品 「テート美術館 — YBA&BEYOND 世界を変えた90s 英国アート」国立新美術館、2026年、展示風景

物置小屋を爆発させる意味とは?

資本主義や政治といった「大きな物語」ばかりでなく、個人の記憶やアイデンティティ、家という個人的空間における家族の関係など、日常の身近な事柄にひそむ物語に目を向けたのも、この時代のアートの特徴かもしれない。

コーネリア・パーカー《コールド・ダーク・マター:爆発の分解イメージ》1991年、テート美術館蔵 「テート美術館 — YBA&BEYOND 世界を変えた90s 英国アート」国立新美術館、2026年、展示風景

展覧会の後半で、大きな展示空間に浮遊するオブジェが描き出す光と影が印象的な作品コーネリア・パーカーの《コールド・ダーク・マター:爆発の分解イメージ》。作家は、英国陸軍に物置小屋を爆破することを依頼し、その残骸を拾い上げてインスタレーションを創りあげた。パーカーにとって、物置小屋とは、秘密や空想を可能にしてくれる、いつも使うわけではないが残しておきたい記憶が蓄積した場所だという。まるで爆発の瞬間を切り取ったかのようなイメージは、その記憶からの解放や、そこから生まれる新しい世界のイメージとも受け取れる。私たちも、自分にとっての物置小屋とは何かについて、つい想いを馳せてしまう作品だ。

現代アートの「考え方」を体験し、そのパワーを知る展覧会。

これまで見てきたのは、展覧会で体験できる作品のほんの一部にすぎない。それでも、同じ「90年代英国アート」と呼ばれながら、作家の視点も表現のスタイルも、驚くほど多様であることに気づくはずだ。

現代アートが「わかりづらい」と感じるのは、一目見ただけで意味が読み取れるものではなく、作家が何を問い、伝えようとするのかを、知っていくプロセスそのものが鑑賞の一部だからだろう。それが少しわかったとき、現代アートは私たちに何かを語りかけ、世界の見え方を、ほんの少しだけ変えてくれる。

作品や作家の数だけ、問いの数があるとすれば、そのすべてが自分の心に刺さらなくても気にすることはない。ひとつでも共感したり、新しい学びを得たとしたら、それが現代アートの理解への大事な「入口」になるのだろうと思う。

マイケル・クレイグ=マーティン《知ること》1996年、テート美術館蔵 「テート美術館 — YBA&BEYOND 世界を変えた90s 英国アート」国立新美術館、2026年、展示風景 

テート美術館 ― YBA & BEYOND 世界を変えた90s英国アート

会場:国立新美術館(東京・六本木)

会期:2026年5月11日(月)まで

開館時間:10:00–18:00 ※毎週金・土曜日は20:00まで ※入場は閉館の30分前まで

休館日:火曜日 ※ただし5月5日(火・祝)は開館

2026年6月3日(水)~2026年9月6日(日)京都市京セラ美術館に巡回

詳しくは展覧会ウェブサイトへ

https://www.ybabeyond.jp/

※記載情報は変更される場合があります。

※最新情報は公式サイトをご覧ください。

(文)杉浦岳史/文筆家、アートナビゲーター

広告コピーライターとして活動しながら2009年に渡仏。美術史やアートマネジメントを学ぶパリ芸術高等学院(IESA)を修了。パリで独自の展示企画やコーディネートに携わる。現在は京都を拠点に、15年間のパリ滞在をもとにポッドキャスト配信、アート・工芸の学びと実践の場「CURIOZIKA KYOTO」の運営に携わる。

Instagram : @paritore_podcast

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