リレーコラム・暮らしを綴るでは、“暮らす”ということを、多面的にとらえて筆者の視点から、日常の事や日頃抱いている想いを自由に綴っていただきます。前回より3回にわたってご執筆いただくのは、エディター&ライターとして素敵なライフスタイルを発信する前田紀至子さんです。

前回記事▶暮らしの景色になる時計 vol.1 チューダー レンジャー36mm デューンホワイト

バスタブをイメージした、優雅な曲線のラグジュアリー オーバル ウォッチ

住まいに心地よい風を通したり、お気に入りの衣服を整理したり、暮らしをすこやかに保つための「お手入れ」という行為が好きだ。
日々のちょっとしたお手入れや定期的なチェックを重ねることで、本当に良いものを美しく、そして長く保つことが叶うと実感しているからかもしれない。

そしてそれは私にとって、住まいや衣服のみならず、身につける道具である時計においても全く同じことが言えると思っている。

たとえば20代の頃に手に入れて以来、私の傍らに寄り添い続けてくれている、カルティエの「ベニュワール」。

当時、街で見かける時計の主流といえば端正なラウンド型(丸型)やレクタングル(長方形)だった。
実際、その頃私は、「次に購入するとしたらタンク アメリカン」が良いなどとぼんやり考えていた。
そんな中で初めてベニュワールを目にした時の衝撃は、今でも鮮明に覚えている。流れるような優雅な曲線を描くオーバル型(楕円形)のケースは、数ある時計の中でも異彩を放ち、圧倒的なエレガンスを漂わせていた。
それに、先の「タンク アメリカン」を試着してみたものの、今ひとつしっくりくると感じられなかった私の華奢すぎる手首にも、驚くほどよく馴染んだ。

その昔、この美しいフォームを初めて目にしたロシアのマリア・パヴロヴナ公爵夫人が「まるで西洋式の浴槽のようだ」と例えたことがその名の由来だと言われているけれど、そんな洒脱なエピソードすらもごく自然に受け入れざるを得ないほどの特別感が、そこにはあった。

旧型が醸し出す、クラシックな佇まいへの敬愛

時代とともに進化を続けるカルティエらしく、ベニュワールも2009年に大きなリニューアルを迎えることとなった。

新しいモデルも、もちろん素晴らしい現代的な美しさを備えているけれど、個人的には旧型が持っていた、どこか儚げでよりクラシックな佇まいを愛してやまない。

小ぶりなケースに収められた繊細なローマ数字のインデックスや手元にそっと華を添えてくれる柔らかなフォルム、曲線美が際立つブレスレット。
ややもすると20代の若い私には少し背伸びに見えたかもしれないそのゴールドの輝きも、年齢を重ねるにつれて不思議と肌に馴染み、私自身の変化を優しく見守ってくれるような存在から、信頼できる相棒のような存在へと変わってきたと確信している。

だが、この「小ぶりであること」と「極上の繊細さ」は、時にちょっとした手間の理由にもなる。

極小のケースの中に緻密な構造が凝縮されているベニュワールは、単なる電池交換ひとつをとっても、一筋縄ではいかない。
定期的にカルティエのブティックへ預け、オーバーホールを受ける必要があるのだ。

時間をかけて整える、手元に戻る愛おしさ

当然のことながら、それなりの費用と、数週間というまとまった時間がかかるオーバーホール。
数年ごとに見積もりをしていただくたびに、一瞬だけ「少し良いお洋服が買えるなぁ」などと苦笑いしつつも、「お願いします」と手配を依頼する。

職人の手によって完璧に解体・洗浄され、油を注し、磨き上げられたであろう輝くベニュワールが手元に戻ってくる瞬間の高揚感は、筆舌に尽くしがたいものだから。

そうして、止まってしまっていた時間を超えて、再び刻み始めた針の動きを目にした時、掛かったコストや時間は綺麗に吹き飛び、ただただ愛おしさと感謝の気持ちが胸を満たす。

一度手元を離れ、丁寧に「整えられて」戻ってくることで、購入した当時以上の深い愛情が注ぎ込まれていくのを感じるのだ。

時を重ねるということは、単に古くなることではないはず。
こんな風にメンテナンスの手間を惜しまず、手入れを重ねていくプロセスそのものが絆を深めてくれるのだと思うと、自分自身も含め、経年を愛せるような気もする。

市場価値を超えた、自分だけの価値を育む

近年はあらゆるものに対して、「市場価値」や「二次流通価格」が数値化され、効率や利便性が優先される時代かもしれない。
だけど、ベニュワールと過ごす時間は、そうした数字では測れない本質的な豊かさを私に教えてくれる。

手入れを怠ればどんなに高価な時計やレア物も輝きを失ってしまうように、暮らしも、そして自分自身の人生も、日々の小さなケアやメンテナンスを重ねてこそ、美しく確固たる基盤が作られていくと言えるのではないだろうか。

手間をかけ、時間をかけ、大切に扱っていくこと。

そうやって自分自身の手で育て上げたものだけが放つ、「私にとっての価値」は、どんな市場価値よりも揺るぎなく、美しく深化していくと信じている。

コンプリートサービスを経て再び私の腕元で輝くベニュワールを見るたびに、これからの暮らしも、人生も、そんな風に愛おしく整えていきたいと強く思わずにはいられない。

プロフィール
前田紀至子(@ki45m)
エディター、ライター。新潮社『nicola』専属モデル、光文社『JJ』編集部を経て独立。 現在は各国の政府や航空会社より依頼を受けての旅記事や、 ビューティ、ライフスタイルに関する記事を中心に、雑誌やウェブサイトに寄稿。

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