フランスの暮らしとデザインを紹介する連載の14回目は、デザイナーでアーティストの弓・シャローさんと夫のクロードさんが1977年から暮らす、ヴァンヴのアパルトマンをご紹介します。

弓・シャロー/1938年、東京・麻布鳥居坂に生まれる。女子美術大学油絵科卒業。大学在学中にセツ・モードセミナーに並行して通い、デザインを学ぶ。1966年、渡仏。多くのアパレル会社のデザインに携わる。1歳年下のフランス人、クロードと結婚、出産後は夫の海外赴任に同行。フランス帰国後は「プチバトー」等の子ども服のデザインを行うほか、イラストレーター、ジャーナリストとしても活躍。1986年、自身の婦人服ブランド「カランドリエ」を発足。1998年にはファッション・ジュエリーブランド「V de B」のデザインディレクターに。2004年、65歳を定年と決め、リタイア。現在は夫との暮らしを楽しむ毎日。著書に、『パリが教えてくれたボン・シックな毎日』『100歳までパリジェンヌ!』(ともに扶桑社刊)、『パリの86歳はなぜ、毎日が楽しそうなのか』(実業之日本社刊) がある。
リビング。玄関から入った時に広々と見えるよう、奥の寝室との間にあった壁を取り払い、オープンな空間に改装。家具はご自宅から近い、ヴァンヴの蚤の市で購入したものが多数。

 パリの南に隣接するヴァンヴ市。広大な敷地を持つ中高一貫校、リセ・ミシュレは18世紀にコンデ公爵の城館として建てられ、フランス革命後はパリの名門校リセ・ルイ=ル=グランの生徒たちのための別邸となり、1864年にパリで6番目のリセとなった。

 1977年頃、弓・シャローさんと夫のクロードさんはリセ・ミシュレを望むアパルトマンを購入。間取りはリビング、ダイニングルーム、寝室、弓さんのアトリエ、夫のワークスペースで、広々としたバルコニーがある。

 「1972年の建築で、広さは75㎡。入居の際に約1ヶ月工事をしました。知り合いの建築家に頼んで寝室とリビングの間の壁を開けて目隠しのように改装し、ダイニングとキッチンの間の壁も開けました。寝室のクローゼットの扉は私がデッサンを描き、職人さんに作ってもらったのですよ」と弓さん。

ダイニングルーム。壁は好きなグリーンに塗り、床は白木のフローリング。カーテン、テーブルクロス、クッションはアメリカで注文したテキスタイルを用いて弓さんが作った。
蚤の市で買った植物図鑑の絵をご自分で着色。「額も蚤の市で見つけたものがほとんどで、3〜4点は夫が作ってくれました」

 インテリアのテーマはコロニアル風。テーマカラーはグリーンと白で、ダイニングルームや寝室を彩るのは、椰子の木のテキスタイルを用いたカーテンやクッション、テーブルクロスやベッドカバー。「ダイニングの椰子の木のアイテムは手作りです。ミシンをかけるのが好きすぎて『縫製工場で働きたいわ』と夫に言ったところ、『流石に年齢制限があるだろう』と返されました(笑)」

左・寝室。クッションとベッドカバーは息子さんがインドの駐在時に現地で購入し、プレゼントしてくれたそう。白無地のサイドランプには、弓さんが椰子の木を描いた。右・寝室とリビングの間仕切りの上にはアンティークの陶器の置物を飾る。「ピエロのオブジェが好きで、集めています。1966年にヴァンヴの蚤の市で買ったものや、1950年代のアメリカのアンティークなどさまざま」

 隣の物件には、息子さん夫妻が暮らしている。二つの物件は行き来できるよう、繋がっているそうだ。「この物件を買って10年後に隣が売りに出た際に、即決して購入しました。というのは、この家には私が仕事をする場所がなかったのです。2戸の間の壁にドアを作って繋げ、長年、アトリエとして使っていました。結婚した息子が隣に住みたいと言うので、それを機にアトリエはこちらのアパルトマンに移し、隣は息子へ生前贈与しました」

グリーンが美しいテラス。暖かくなると友人を招いて外のテーブルで食事会を催す。パーテーションの向こうは息子さん夫妻のアパルトマン。
菜園にはミニトマト、ルッコラ、さまざまなハーブが育つ。手入れはクロードさんが担当。テラスの向こうに見える木々は18世紀に公爵の城館であった、リセ・ミシュレ校のもの。

 南向きのテラスにはたくさんの木々を植え、一角に菜園を設置。目の前には広い空と森が広がり、四季折々の風景が楽しめるという。「10年ぐらいテラスのある住まいを探して、このアパルトマンに出会いました。花は好みの白、青、紫を育て、菜園では料理に使う野菜やハーブを育てます。自然に恵まれながら、メトロの駅も近いのでパリへのアクセスも良く、程よく都会、程よく田舎なところも気に入っています」

左・弓さんのアトリエは、テラスだった場所を前の住人が部屋に改装したそう。ここで絵を描いたり、ミシンをかけたりと制作に励む。トルソーのコサージュも自作。右・アクセサリーのパーツはマイアミの問屋で仕入れた。「色々作るのが楽しくて。一人遊びの天才だと思います(笑)」

 東京の麻布鳥居坂に生まれた弓さん。曾祖父は東京慈恵会医科大学を創設した医師で、男爵の高木兼寛。祖父は同じく男爵で東京慈恵会医科大学長の外科医。父は建築家、祖母は有島武郎・生馬の妹で、里見弴の姉という名家の出身。小学校から高校まで田園調布雙葉学園で学んだという。「大学は女子美の油絵科に入学。途中で図案科に移りたかったのですが、良い成績で入学したため、先生が許してくれなかったんです。在学中に『装苑』でファッションイラストの仕事をするようになり、その後、デザイナーとしても多くの婦人誌からお仕事をいただきました」

左・バスルーム。壁に大理石を貼り、バスタブを設置。左の壁の向こうは寝室。ドアがあった場所を塞いで棚を設置した。右・バスルームの右側の壁の上部に明かり取りの窓をつけ、弓さんのアトリエから採光。魚のオブジェはヴァンヴの蚤の市で。ガラス瓶は夫がインドで購入。

 当時、「ミセス」のニットや子供服のページを手がけるなど、仕事はたくさんあったという。ニットを編んでデパートなどで販売していたことも。「もう一つ上の腕試しがしたくて、パリに来ました。1966年に横浜からウラジオストックまで船で渡ったのですが、そこに一人だけフランス人がいて。その人が夫になる、クロードでした。彼は南極探検の後に日本を訪れ、フランスに帰るところでした。『この人についていけば、パリ北駅まで行けるだろう』と思い、モスクワからパリまでシベリア鉄道の旅路は彼と同行。北駅にはケンゾー(高田賢三)さんと荒巻太郎(「パパス」デザイナー)が赤いミニクーパーに乗り、レノマのスーツで決めて、迎えに来てくれました。ですが『弓がもうフランス男と電車から降りてきた』と、後々までからかわれました」

左・テレビはアンティーク家具の中に収納。「これも蚤の市で見つけました。ブーランジュリーで使われていたパン台で、下でパンを発酵させたそう」右・リカーを収納するバーは夫の駐在時代、パキスタンに住んでいた頃、オーダーした。「デザイン、寸法、表面のモチーフをデッサンして作ってもらいました。金属の部分が乾燥で飛び出し、その時一緒に作ってもらったのですよ」

 パリに住み始めた頃はケンゾーさんと遊ぶことが多く、カップルだと思われていたとか。「二年後に帰国してお店を開こうと思っていましたが、商売の経験がなかったため不安もありました」

 

 その年1968年は5月革命が起こり、フランス全土でデモやスト、交通機関はストップ、弓さんは空港が閉鎖される直前の最後のフライトで日本へ帰国。当時は南周りだったので、途中、パキスタンに転勤中のクロードに会おうと寄ったところ、車の事故に遭い九死に一生を得たという。 怪我のまま日本に戻り慈恵大学附属病院に入院、治療の後、パキスタンに戻り、クロードさんと結婚の為、パリに一週間だけ行き、一年間のパキスタン暮らしをした。

「夫はマトラという重工業の会社の、航空部門にエンジニアとして勤めており、一人息子を出産後、彼の転勤でブラジルでも二年暮らしました。パキスタンでは山鳩を打ち、食卓に出したり、両国共にそれは辺地でしたが、順応性の豊かさから楽しい日々を送りました。」

テーブルセッティングをする弓さん。窓からはヴァンヴの街並みを一望できる。「高所恐怖症なので怖くて窓際に立てない、と夫に言ったら格子の木枠を彼が作ってくれました」
植物のモチーフをあしらったお皿はドイツに駐在していた姪のプレゼント。カトラリーフォルダはディジョンで見つけたアンティークで、水を入れ植物を生けることができる優れもの。この日はお皿と合わせて蔦、バジルを挿した。

 帰国してからはフリーランスのデザイナー、アーティストとして活躍。48歳の時に東京ブラウスのブランド「カランドリエ」のトップデザイナーとして、10年間活動をした。「年に二回、二か月間は仕事のため帰国しました。当時はバブル真っ最中。百貨店のコーナーをいただくのが本当に大変でした。様々な地方のデパートに赴き、頭を下げて営業をし、松坂屋や渋谷西武など、15店舗にコーナーを持つことができました。デザイナーが登壇するイベントなどもあり、仕事のおかげでいろいろな街を旅行できました」

 1998年からはヴァンドームヤマダのファッション・ジュエリーブランド「V de B」のデザインディレクターとして活動。渡仏してから約38年、走り続けてきた弓さんは2004年、65歳を自らの定年とし、すべての仕事からリタイアした。

左・アミューズのラディッシュ。フランスではバターと共にいただくのが定番。右・菜園のプチトマトを湯むきし、サラダに。ドレッシングはピンクワインビネガー、サラダ油、オリーブオイル、ディジョンマスタード、塩・コショウをミックス。

 現在の生活は、6時30分に起床しストレッチ。朝食はオートミール、ドライフルーツ、温めたミルク、バナナにシナモンをたくさん入れ、ミルクコーヒーともにいただく。愛犬・サニーの散歩はクロードさんが担当。洗濯、アイロン、掃除などの家事は、彼も積極的に参加してくれるそう。

 お昼は友達と外食をすることも度々。家にいるときはお昼の後に生地を裁ったり、ミシンをかけたり、アクセサリーを作ったり、絵を描いたりと創作に励む。夕方にはiPadでゲームタイム、推し活中の大谷翔平選手の試合を観戦することも。「18時30分は、愛犬のサニーちゃんのご飯タイム。料理をしなさい、と催促をしに来るのですよ」

 クロードさんは毎日映画を観に外出。19時30分頃からディナーを楽しみ、食後はTVでニュースを見ながら裁縫をしたり、iPadを使ったり。お風呂に入り、23時頃就寝する。

左・メインは野菜のファルシ。パンをミキサーにかけ、野菜の中身もくり抜いてミキサーにかける。塩コショウをしたひき肉、卵と合わせてオーブンで20〜25分焼き、一晩寝かせる。「いただく前にオーブンで再加熱をすると美味しくなります」付け合わせのグリーンピースご飯も美味。中・デザートの前にサラダとチーズをいただくのがフランス流。右・デザートのイル・フロッタンは夫の母のレシピ。「材料は卵と小麦粉、コーンスターチ、砂糖、牛乳、レモンの皮。家であるもので作れます」

 「夫が山へ旅に行くようになってから、一人で過ごす時間が増え、油絵を再開しました。実は、おもちゃコレクターの北原照久さんと親交があり、彼は昭和初期に建造された、三浦半島にある旧竹田宮邸を改装して30年間住んでおられましたが、この春に売却され、横浜の高台に新しい素敵なマンションを購入されました。『白い壁が弓さんの絵を、待っています』と、彼が言ってくださっているので、もう少し油絵を頑張りたいと思います」

 バカンスは、3年前に購入したキャンピングカーをクロードさんが運転し、サニーちゃんと共に国内外の旅行を楽しんでいる。自由に、しなやかに、そして楽しむことを忘れずに生きる弓さん。87歳と思えぬほどエネルギーに満ち、見る人の心を暖かくしてくれる。日々を愛おしみながら過ごす。そんな彼女の生き方こそ、私たちが見習いたい幸せのあり方なのかもしれません。 

キャバリア・キング・チャールズ・スパニエルのサニーちゃん(♀)は4歳。シャロー家3代目の愛犬で、家中を元気に走り回るお転婆さん。

撮影/齋藤順子(Yolliko Saito)

(文)木戸 美由紀/Miyuki Kido文筆家

女性誌編集職を経て、2002年からパリに在住。フランスを拠点に日本のメディアへの寄稿、撮影コーディネイターとして活動中。株式会社みゆき堂代表。マガジンハウスの月刊誌「アンド プレミアム」に「木戸美由紀のパリところどころ案内」を連載中。

Instagram:@kidoppifr

Share

LINK

  • ピアース石神井公園
  • ディアナコート永福町翠景
×
ページトップへ ページトップへ