月に一度、鎌倉のある御仁のお宅に花をいけに伺っている。同時に、それはわたしにとっての月に一度の鎌倉詣でとなっている。

御仁のお宅には絵や書・骨董などの美術品の数々が、生活の中で月ごとに設えられており、伺う度に季節と一品の「重ね」の妙に感服し、眼福の時を過ごさせてもらっている。

午前中のうちに鎌倉へ赴き、花をいける。いけ終わると、御仁と奥様のひと月の間に起こった面白き四方山話を伺いながら、昼食をご一緒することになる。「なんということもない賄い飯」とおっしゃる昼ごはんには、丁寧な仕事と季節の旬ものがちゃんと施されており、ひょっとするとこの昼食を頂く為に伺っているようなものではないか・・・と内心思っていたりもする。
ちなみに先月・睦月は白菜のスープがなんとも言えない美味さであった。

御仁と奥様の、季節と美術を愛でる姿勢は、「なんということもない賄い飯」にもちりばめられているのを感じながら、小生の貧弱な素養を省みたりもする・・・。
食後の紅茶を頂くと、「では今月もお元気でいてください」、「いや一寸先はわからないから、来月は別世界にいるかもしれない」という捻くれた何時もの挨拶を交わして、お宅を後にする。
車は御仁宅の駐車場に置かせてもらったまま、その後はいつも決まったルートで鎌倉の好きな場所へ詣でることになる。

東慶寺。円覚寺にほど近い小山の裾野に静かに佇んでいるこのお寺がわたしは好きだ。
作家・井上ひさしの遺作「東慶寺花だより」の物語でご存知の方もいらっしゃるかも知れない。


鎌倉時代・弘安8年開創の臨済宗円覚寺派の寺で、かつての封建時代には、寺に駈け込めば離縁出来る女人救済のいわゆる「縁切り寺」として機能していた。後醍醐天皇の皇女や、豊臣秀頼の娘などが住職を務めた由緒ある尼寺でもあった。明治35年に尼寺としての役割を終えた後は、著名な禅僧でもある釈宗演が入山し、彼を慕った西田幾多郎や鈴木大拙、小林秀雄、前田青邨などの哲学者、文化人の墓も山内には多い。


わたしがここに惹かれる主な理由は二つある。一つは、井上ひさしの作品名にあるように、「花の寺」と言っても良いくらいに四季折々の花々が咲いていること。
巧妙に整えられた花々ではなく、雑草・苔も共存するようななんとも言えない野姿がとても心地よい。
そしてもう一つは、宝蔵に在る木造・聖観音立像。この美しき仏像を季節の変化と共にどことなく眺めにいくのである。


数奇な運命に翻弄された仏像で、130センチの背丈は妙に生身的にリアルで、衣紋には彩色の色合いが仄かに残り、土紋によって立体的に草花文様が施されている。肩から腕にかけての緩やかな線がなんとも艶めかしく美しく、静閑な表情と、いわゆるなで肩は、ここがかつて尼寺であった頃の気配をもしっかりと纏っているようにわたしには感じる。


この日の午後は少し小雨がパラついていた。
いつものようにひとり階段を登り、山門を潜り、草花を横目に歩きながら、宝蔵に入る。
小雨と寒さに加え、コロナ禍もあって境内に他に人はいない。
ポツポツと涌いては消える幾つかの想念を心地よく転がしながら、聖観音像の目の前に歩みを進める。


と。どことなくいつもと様子が違うように感じる。何が違うのか、よくわからない。
しばらく立像を眺めつつ佇んでいると。気付くことがあった。

観音像の目に潤いを帯びた水滴が浮かんでいる。
「涙か」と、ハッとした。「いやいやそんなことは・・」と我に帰る。
実際に浮かんでいたわけはなく、そう見えた。のだ。と思う。


もちろん仏眼が玉眼(仏像の目を本物のように見せる為に水晶の板をはめ込む技法)であることは承知している。その上で、この日、聖観音像の目に光るものがわたしには今まさにあふれ出んとする涙の一滴のように見えた。

かつてこの聖観音立像は、東慶寺ではなく、現在の国宝・円覚寺舎利殿に安置されていた。立像としてこの世に存在してから、余儀なき旅をし、その眼は幾度となく重なった「難」を眺めてきたことだろう。その度に、人知れず涙を流すことも百や二百ではなかっただろうという物語を夢想する。ここが「縁切り寺」であったことがまた重なる。


2020年が明け、疫病によって再び静まり返った新たな令和3年の「世間」はその眼にはどう映っているのかと、想像しながらまた暫し佇んでみた。

聖観音立像の前には一つの歌が書かれている。
「流らふる  大悲の海に よばふこゑ 時をへだてて なほたしかなり 」
(時を超えて注がれる人々を救おうとする仏の慈悲深い心は いつまでも確かなものだ。)
東慶寺を開いた尼僧を讃えた歌だそうだ。

立像の眼に見た涙は、やがて大海へ流れ出る一滴のようにも感じられ、世の平穏を願う春待ち歌を聴くようだった。
いずれ大地を覆う寒さは解け、一滴の水となり流れ出で、人住む街や野を潤していく。
強張った心にも、春風に誘われて穏やかで清らかな水滴が、スゥーと流れ込んでくるような春が今はとても待ち遠しい。

山内を後にし、御仁邸宅に止めた車へ戻る途中、道端には一輪の水仙が揺れていた。
雫を附す姿が最も美しい冬の花・水仙を、大地への一滴に重ねていけようと思った。


器:田中孝幸 作 『雫ノ花掛け』



【水仙をいけるコツ】

冬。巷に花の色が少なくなり、色が待ち遠しい頃。年が明ける頃地中から顔を覗かせる水仙はその香りと上品な花が人気の球根花である。

種からではなく、球根から生える切り花は水仙に限らず、茎が水に浸かりすぎると腐敗しやすいので、花瓶にいけた時にたくさんの水を張る必要は無く、2〜3センチほどの水があれば十分。少ない水にいけることがコツである。

花も然り、葉も球根花の豊かな特徴なので、花屋さんで葉を残したまま購入し、葉の流れや特徴を活かして、花と共に葉をいけると、野の姿が見えて風流になる。

「水仙」の名は、「仙人は、天にあるを天仙、地にあるを地仙、水にあるを水仙」という中国の古典に由来する。水辺に育ち、仙人のように寿命が長く、清らかなという意味から名付けられたとも言われている。


Takayuki Tanaka flower artist

田中 孝幸


大学卒業後、出版社を経て花の世界へ。花卸売市場勤務時代にベルギーのアーティスト:ダニエル・オスト氏と出会い、師と仰ぐ。世界遺産などの展示で協働後、独立。空間デザイン・ランドスケープ・国内外企業とのコラボレーション・アートプロジェクト・広告・雑誌連載など多岐に渡り活躍。練り上げられたコンセプトを軸に、革新的手法で花植物を“極限美”へと昇華させることで、世界に新たな“物語”を生み出すことを創作のテーマとする。

公式サイト:https://takayukitanaka.com

インスタグラム:@tanaka.takayuki.uf

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