あかあかや あかあかあかや あかあかや 
あかあかあかや あかあかや 月





この歌に出会ったのは大学生の頃だった。授業にも碌に出ずアルバイトをしては飲み、遊び歩き、所構わず何処かへ出かけ、お世辞にも真面目な大学生とは程遠いフラフラする日々を送っていた僕は、ある日、偶然本で目にした『鳥獣戯画』をどうしてもこの眼で見たくなり京都・栂尾の高山寺に向かった。



意気揚々と出かけたはいいが、随分と長い時間バスに揺られて寺に辿り着いてみると、本物の鳥獣戯画は博物館にあり、そこにはないことを知る。
携帯電話に便利なネット検索機能がまだ登場していない時代の話である。



田中青年は落胆する。しかし、この落胆が良かった。
目当てのものがないと決まれば、あとは現場にあるその他のものに身を委ねるしかない。栂尾を歩き回る中、出会ったのが高山寺を開いた僧・明恵上人であり、彼が詠んだ冒頭の歌であった。





鮮烈な衝撃だった。当時、季節は秋。高山寺のある栂尾の山々が紅葉で染まっていた。日本で最初の茶畑のことを知り、堂が点在する山内の空気に得も言われぬ感覚を覚え、寺の構造や石庭に興味を持ち、パンフレットにあったこの歌に脳裏を射抜かれた。


燃えるような紅葉が風にそよぎ、悠然と揺れていて、やがて闇に包まれ月明かりだけがその赤を照らす風景を、そのミニマリズムな明恵の歌に見た。




おそらく明恵の「あか」、は「月あかりがとってもあかるいなぁ」の「あか」なのだけれど、僕の脳裏には同時に「あか」が「赤」としても生き続けている。
それ以来、この歌はずっと僕の中に体験として深く根ざしている。




鎌倉時代前期に生き、「月の歌人」とも称され、栂尾に高山寺を開山した明恵。日本に名僧数あれども、最も親しみを覚える僧でもある。


自身が見た夢を約40年にわたり日記につけ続け、時代は異なれど自耳を切り落としてしまった点はゴッホと類似し、政治からは距離を取り、常に在野であり、民と生き物の為に時として権威に対し一喝を込める。
そしてどこかモダンで、個人的には、豊臣秀吉・坂本龍馬と並ぶユニークな手紙の3名手に数えている。
僕にとってそんな明恵は、今で言う「アーティスト」の理想に最も近い僧なのかもしれない。



明恵の歌を冒頭に綴ったのは、ほかでもなく明恵が歌で成した自然に対する色彩と気配への賛美と信奉を、頂いたこのSUMAUでの連載の機会に試みたいと思ったからだ。



そこで、タイトルは【花歌気配有無~ハナウタケハイウム~】とした。
花が詠む歌に耳を澄まし、暮らしの中でそれがどのような気配の「有無を生む」のか。僕なりに3枚の写真と、テキストで綴ってみようと思う。


「暮らす」・「住まう」ことが一層「どう生きるか」に直結する時代にあって、季節の花が生む気配をラフに楽しんで頂きつつ、読者の方々それぞれの中で「何か」を感じて頂くことで、ほんの僅かだとしても「何か」のお役に立てることを願って。




今年、高山寺のある京都では、例年のような祇園祭は残念ながら中止となった。しかし、祇園会の洛中では、市井のあちらこちらに古から変わらず疫病・災厄の除去を祈る花としての“檜扇の花”がいけ続けられている。それをモチーフにさせてもらい、初回の夏の一花は【姫檜扇】をいけさせて頂くことにした。



そもそも檜扇の名は、葉が“扇”を広げたような姿であることに由来する。
檜扇よりも小ぶりで場所を選ばず飾れ、同じアヤメ科で“檜扇”の名を冠し、水持ちも良く、次々と花開く“姫檜扇”は、夏の文化と気配を纏ったカジュアルな花である。



ふと、読者の皆様の暮らしの中で、それぞれに橙色の花がいけられている姿を想像する。
それらの花々はきっと、今年惜しまれながら自粛される祇園会や日本各地の夏祭りに代わって、巷の見えない厄や澱を払うようでもあり、その風景を想うと、なんだかこちらまでほのかに清々しい気持ちにさせてもらっていることに気付く。


長く続く梅雨の曇雨天の隙間に、久しぶりに陽と青空がのぞいた日曜日。そんな日に希望を込めてこの初回の原稿を書き終えることができたことも嬉しく感じつつ。



 Takayuki Tanaka :flower artist
田中 孝幸


大学卒業後、出版社を経て花の世界へ。花卸売市場勤務時代にベルギーのアーティスト:ダニエル・オスト氏と出会い、師と仰ぐ。世界遺産などの展示で協働後、独立。空間デザイン・ランドスケープ・国内外企業とのコラボレーション・アートプロジェクト・広告・雑誌連載など多岐に渡り活躍。練り上げられたコンセプトを軸に、革新的手法で花植物を“極限美”へと昇華させることで、世界に新たな“物語”を生み出すことを創作のテーマとする。
公式サイト:https://takayukitanaka.com

インスタグラム:@tanaka.takayuki.uf

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