アートには数え切れないほどのスタイルがあって、それぞれに私たちの感情を動かしてくれるものだが、時に自分を今の現実からふっと別の世界へ連れていってくれるような作品がある。パリを拠点に活動する画家ジェラール・シャルオさんの絵もそのひとつだろう。

イタリア・ローマ


偶然が、真似のできない表現を絵に生みだした。

知らない場所なのになぜか懐かしい、そして現実とは違う淡い幻想のような世界。パリ20区の高台にある彼のアトリエを訪れて、その表現の秘密について話を聞くと、思いもよらない方法がそれを生みだしていることを教えてくれた。

「ここに辿りつくには長い時間がかかりました。私が作ったというより、『紙』がこの空気を作ったといってもいいでしょう。かつては一般的な方法で絵を描いていたんですが、あるとき友人がベトナムで手に入れたという素朴な紙を土産に持ってきて『これで何かできるかしら?』というんです。しばらく放っておいたのですが、あるとき描いていた絵が失敗。色を塗ったりやり直してたのがうまく行かなくて、その紙を絵の上に貼り付けてみたんです。忘れかけた頃にふとそのタブローを見たら、表面の紙が微妙に透けて下の絵が現れ、なんともいえない特別な雰囲気を醸していた。完全じゃないと思っていた絵が信じられないほど美しい効果を出していました。失敗が新しいものを生みだす、ということが目の前で起きていたんです」

ベトナム・ハノイ

折しもパリでサロン(絵画の展示販売会)があり、その紙を使って作品を作るとなんとすぐに完売。すぐに、紙をくれた友人に連絡して一緒にベトナムへ向かい、画材店でもなんでもない場末の商店で紙を大量に入手し、次の作品に取りかかる。半年後にまた別の展覧会があり、5日間の日程で絵を出品したところ、3日目までにすべて売れてしまったという。

「ある人が初日にやってきて私の絵を丹念に見ていきました。彼が最終日になってまた来て『何もないじゃないか、どういうことだ?』と聞くので、『いやどうしたことか、私にもわかりません』と(笑)。ならば、と彼は名刺をおいて、作品を描いてほしいと私に依頼してきたんです。パリのヴォージュ広場(数多くのギャラリーがあるマレ地区の中心)にあるSIBMAN GALLERYのオーナーでした。そこからギャラリーの所属アーティストとなり、約10年間一緒にやってきました」

エジプト・カイロ

人々が魅了されたのも無理はない。紙一枚のヴェールをかけた絵は、まるで半透明のスクリーンがかかった記憶の片隅にある風景のように浮かび上がる。描かれているのは現代の都市なのに、まるで長い時を経てきたかのような存在感。偶然が生みだしたその美しさは、その手法を知る彼にしか再現できないものだ。

フランス大西洋岸の静かな保養地の故郷から、25歳でパリを目指してきたシャルオさんはそのとき45歳。エコール・ドゥ・ルーブルや絵画教室などに通いつつも、ほぼ独学で絵を究めてきた彼が、画家の厳しい暮らしを経て20年、ようやく自分独自の表現を手にした瞬間だった。


旅で感じた空気を作品にまとわせる。

彼を絵に向かわせるインスピレーションの源泉は「旅」。とりわけ1979年の二度目のインド旅行での、フランスとはまったく違う東洋の異国感との衝撃な出会いを忘れられないという。その後、ハノイ、カイロ、リスボン、ナポリ、ローマなど、世界各国の旅を重ねてはその異国の感覚を絵に描きとめようと苦心してきた。都市と建築・・・モチーフは具象だが、彼はそこにある「目には見えない空気や温度」のようなものまでを描く。紙の効果はそれをより際立たせる。

日本への旅行も刺激的なものだった。特に最初は彼がずっと描いてきた「都市と建築」の、日本的なあり方に興味をもった。

LE VOYAGE À TOKYO(SUMIDA-KU)

「これ、どこだと思いますか?日本の人には『なぜ?』と驚かれるのですが、私は東京の中でも墨田を描くのが好きなんです。細かく重なりあった家々の風景、上から眺めるとそれは抽象画のようで、まるで精巧な嵌め込み細工のようにも見える。都市計画的というより、自然発生的にできていった界隈。その本質を描きながらも、建物の骨組みの連続性や色の使い方を意識し、その文化や空気感まで表現していきます」


日本の旅から生まれた新たなスタイル。

そんなシャルオさんに、この日本への旅が新しい転機をもたらすことになる。

「日本の旅から帰ってきて、自分が撮った写真の中に、街で伝統的な服装をした人の後ろ姿があったんです。そのときふと、その姿を都市の絵の中に溶け込ませたいと思いました。最初、人物を引き立たせるために、建物は輪郭だけを残していったりしたのですが、まったくうまくいかない。そして思ったんです。日本の都市は巨大で、人々はまるでそれを身につけているかのようだ。ならば逆に人物に都市を溶け込ませてはどうだろうと。こうすることで人が心に抱く都市のイメージも投影できる」

LA VILLE EN SOI

KYOTO – ICÔNES

そこには都市に生きる人々の感覚、あるいは公と私を使い分ける日本人特有のメンタリティも見え隠れするようだ。ここから、彼の絵の中に人物が現れるようになり、シャルオさんの絵に別の局面が訪れた。やがてそれは「ヴィンテージ・ポートレート」と名づける新しいシリーズへとつながる。

Blue Note

この「ヴィンテージ・ポートレート」シリーズで描かれる人は、どこかクラシックな出で立ちだ。それもそのはず、モチーフとなっているのは主に19世紀、発明されて間もない頃の肖像写真。その時代、人々は自分自身をありのままに写す新しい技術に驚き、飛びついた。

「19世紀まで人物の肖像画といえば絵画がその役割を果たしてきたのが、写真が発明されるや誰もが肖像写真を撮るようになって、絵は印象派など別の表現に移行していったわけです。私は言ってみればその逆のことをしていて、その時代の写真を使って、それを絵に起こしています。色を使って、まるで被写体を甦らせるかのように」

Edgar

「あるとき当時の肖像写真の裏面に面白い表示を見つけました。いわく【大きなサイズの肖像は、油彩またはアクリル画で承ります】。つまり当時の写真は絵葉書ほどの大きさでしか焼けなかったので、サイズを大きくしたい場合には絵で対応しますということ。『まさに100年後の私がそれをしているじゃないか』と思ったものです(笑)」

Harold is wearing a satin suit

ここでもやはり紙の効果が、絵にヴィンテージのニュアンスを与える。見る人は、絵を通して古い写真の時代といまを行き来する、いわば時間の「旅」を夢想する。シャルオさんは、彼の絵を通じてこんな風に私たちを見知らぬ場所や時へと誘ってくれるのだ。


パリという街とアート。

シャルオさんのアトリエ風景

こうした作品は主に、パリ・ベルヴィル地区の高台にあるシャルオさんのアトリエで生まれる。ふだんはここに籠もって制作をする彼にとって、一歩出て散歩をすれば「世界の交差点」といえるような文化や事物に出会えるパリは居心地がいいという。

丘から見るパリ一望の景色。セーヌに向けて降りていきながら出会うマレ地区の空気。街の中心のシテ島、サン=ルイ島、サン=ジャックの塔からの眺め。美術館やギャラリーで得るインスピレーション。カフェのひととき・・・。散策こそパリの醍醐味だと彼は語る。

Paris Le Marais (フランス銀行・歴史芸術遺産財団所蔵)

芸術の都と呼ばれるパリに住むシャルオさんに、フランス人とアートの関係について尋ねてみた。

「フランスには、たとえば美術館やそこにおかれた美術品・作品は国民のもの。という意識があります。ルーブル美術館もいわば<私たちの遺産>。そしてフランス人は少しでもお金があれば、アートを購入します。それはもしかしたら少しナルシシズムみたいな部分があるかもしれませんが、私たちはそのアートを自分を映した鏡のように思っている。作品はもちろん他人が創ったものですが、それを好きになったとき、それは自分の一部のように感じる。好きなものに囲まれていることに幸せを感じたり、時にはそれが人生を豊かに、あるいは生きやすくしてくれることがあるんじゃないでしょうか。フランス人はナルシストなんです(笑)。日本の方は「空白」や「間」を大事にしますよね。「床の間」のような限られた場所に飾りをする。私たちは隙間なくあるのを好む傾向があります。もう壁は一杯なのに絵を買おうとして「もう掛けるところがない」といって天井に掛けてしまう、みたいな(笑)。そこに日本とフランスの違いがあるかもしれませんね」

「そういった芸術の遺産に対する愛着がフランス人には強いです。特に絵画はフランス人にとって大事なものだと思います」

そんな絵画への愛着が強いフランス。いまシャルオさんの絵はフランス銀行の歴史芸術遺産財団にも作品が納入され、国の文化遺産に指定される銀行のホールGalerie Dorée(黄金の間)やオフィスなどに飾られている。その絵の一つは、欧米人にとっての東京のイメージの象徴でもある「渋谷」の交差点がモチーフ。私たちが住む都市を客観的に見るような視点が新鮮だ。

Shibuya Crossing (フランス銀行歴史芸術財団所蔵)

「アートとは、あるものの形を変えて、人を別の現実へといざなう鏡のようなもの」また「芸術家は夢想家であるべき」と語るシャルオさん。これからも絵を見る我々を別の世界へといざなうための彼の旅はつづいていく。

杉浦岳史/ライター、アートオーガナイザー
コピーライターとして広告界で携わりながら新境地を求めて渡仏。パリでアートマネジメント、美術史を学ぶ高等専門学校IESA現代アート部門を修了。ギャラリーでの勤務経験を経て、2013年より Art Bridge Paris – Tokyo を主宰。広告、アートの分野におけるライター、キュレーター、コーディネーター、日仏通訳などとして幅広く活動。




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