東京都中央区銀座一丁目。銀座のメインストリートである銀座中央通りからほど近い場所に、ギャラリーやアンティークショップが集まる古いビルがある。築85年を迎えた「奥野ビル」。近年、デザイン&アートの発信拠点として再注目されている奥野ビルを訪れた。

昭和初期のレトロデザインが往時のまま残る
タイムマシーンのような空間
高級ブランド店が軒を連ねる華やかな街というイメージが強い銀座だが、アートの街でもある。昔から画廊やギャラリーが多く、資生堂やポーラ、エルメスなど大手企業が運営するギャラリーもあるし、最近ではGINZA SIXの吹き抜けに飾られた草間彌生の南瓜のインスタレーションが話題になった。
銀座一丁目の「奥野ビル」も、アート、デザイン、アーキテクトというキーワードで注目されている場所のひとつ。昭和初期に贅を尽くして建設された当初の面影が随所に残っているため、一歩足を踏み入れるとタイムスリップをしたかのような感覚を味わえる。



もともとこの場所にはオーナーの奥野亜男氏の祖父が経営する工場があったのだが、1923年(大正12年)の関東大震災で倒壊してしまう。工場を大井町に移し、1932年(昭和7年)に銀座に残っていた土地に高級賃貸アパートメントを建設した。昭和に入って人口が急増し、住宅難が深刻化した時期だった。
設計を手がけたのは、同潤会アパートの建設部長も務めた川元良一氏だ。大震災にも耐えられる頑丈な建物を目指しながら、仕上げの美しさにもこだわった。しっかりとした梁も、階段の手すりも、機能や強度を高めながらしっかりとデザインされている。



各居室は約3.5坪のワンルームだった。当初の名称は「銀座アパートメント」。エレベーターはデパートや銀行などごく一部の建物にしかなかった時代に、民間の住居としては日本で初めて設置し、電話線も各部屋に引いていた。風呂とトイレは共同で、トイレは各フロアに、大浴場は地下につくった。
高級住宅として誕生したころは目の前に三十間堀川(さんじっけんほりかわ)の柳並木があり、夕暮れ時になるとビルの前に縁台を出して住人が談笑しながら夕涼みをしたという。第二次世界大戦の空襲でも焼失することなく、戦後は徐々に事務所としての需要が高まっていった。
昭和50年代になると画廊やギャラリーが増え、平成に入ってからはアンティークショップも多くなった。そしていまでは、「レトロなアートビル」として不動の人気を得るようになっているのである。


手動式エレベーターや階段、床などに残る
昭和初期に建てられた高級アパートメントの面影
奥野ビルは、建設当時の状態をできるだけそのまま残そうと、しっかりメンテナンスを続けてきた。水道管は、圧のかかる上水道の配管をすべて取り替えている。外壁やエントランスのタイルが剥がれ落ちれば、剥がれたタイルをサンプルにして、できるだけ同じようなタイルをつくってもらって張り直す。
竣工当時から設置されているエレベーターは、モーターやロープ、カゴは新しくしているが扉はいまも自動ドアではなく手動開閉式のまま。カゴの停止階を矢印で示すインジケーターも当時のままだ。
長い年月にわたって数えきれないほどの人が歩いてきた廊下は真ん中がすり減り、轍(わだち)のように窪んでいるが、「それもこのビルの歴史。そのままにしておいてほしい」という住人たちの要望で修復していない。
年月を重ねるにつれ、昭和レトロなデザイン空間の特有性が際立つようになり、奥野ビルの個性に呼応するように特色のある店舗が増えていった。奥野ビルには約70室の貸し物件があるが、現在は20軒ほどがギャラリーやアンティークショップになっている。



この歴史を刻んだ建物から、アートやデザインを発信。銀座の伝統を守りながらも新しいアートの拠点になっているのが、銀座ならではの趣を感じる、
奥野ビルでギャラリーやショップを巡ってデザイン&アートを楽しむのと同時に、昭和初期に建てられた貴重な「名建築」を隅々まで味わうこともできる。銀座を散策する時は、ぜひ奥野ビルに足を運んでみてはいかがだろう。
伝統を守りながらも新しいアートの拠点であることに、銀座ならではの趣と粋を感じることができるはずだ。


住所:東京都中央区銀座1-9-8