忙しない日々を送る現代人にとって、良質で豊かなアートに触れる時間を持つことは最高の癒し。もちろん音楽もそのひとつです。お気に入りのバンドやアーティストのライブに足を運ぶ「推し活」も楽しいけれど、時には歴史あるクラシック音楽の歌曲に触れるのもおすすめ。今回は、ウィーンを拠点に世界で活躍するソプラノ歌手、田中彩子さんのプレミアムコンサートの模様をレポート。田中さんのファンタジックな歌声を浴び、まさに心洗われるような一夜でした。
クラシック初心者でも楽しめる
田中彩子プレミアムコンサートの魅力
12月22日、クリスマスムード漂う東京、サントリーホール ブルーローズでモリモトのお客様のみを抽選で招待した特別公演「モリモトpresents田中彩子プレミアムコンサート」が行われました。ソプラノ歌手のコンサートと聞くと思わず構えてしまう人もいるかも。でも、田中彩子さんのリサイタルは、その歌声の素晴らしさはもちろん、誰もが気軽に足を運べるウエルカムなムードも魅力のひとつ。その歌声に触れようと幅広い世代の観客が会場に詰めかけました。

開演時間が近づくと、美しい鐘の音がコンサートの始まりを告げます。佐藤卓史さん(ピアノ)、市寛也さん(チェロ)に続いて、深紅のドレスに身を包んだ田中彩子さんが登場。会場中が大きな拍手で迎えました。ピアノの静かな音色が響き、1曲目はドビュッシーの「月の光」。この曲はもともとピアノ曲で、田中さんは母音のみを使って歌うヴォカリーズ(母音唱)で澄んだ歌声を響かせ、会場がその歌声の美しさに引き込まれていきます。
田中さんのコンサートは、曲の合間のトークもとても楽しく、誰もが理解できるように、わかりやすく曲の解説をしてくれるのも嬉しいところ。「ここは素晴らしい場所」という歌曲についてもロシアの作曲家、ラフマニノフがアメリカに亡命して、その後も故郷の自然を懐かしく思っていたこと、そしてこの歌詞の中にその自然の美しさを表現したという楽曲誕生の背景が紐解かれ、その楽曲がより身近に感じられる気がしました。再びラフマニノフの、ずばり「ヴォカリーズ」という曲についても、「チェロで演奏されることが多いのですが、オリジナルは歌なんです」と解説を加え、チェロの美しい響きに乗せて見事な母音唱を披露。1曲ごとに楽曲への理解が深まっていきます。

ソプラノと一口に言っても、実はそこには細かな分類があることも知ることができました。田中さんはソプラノのなかでも「コロラトゥーラ」と呼ばれる声質の歌手。コロラトゥーラは非常に高い音を要求されるジャンルで、駆け抜けるようなパッセージをなめらかに表現する技巧も必須。時にコミカルにもキュートにも響く歌声は、鳥の囀りに喩えられることもあります。田中さんはそのコロラトゥーラとして、抜群の表現力とスキルを持ち合わせる歌手です。この日披露したデラックァの「ヴィラネル(田園詩)」では、その明るい響きはまさに小鳥たちが群れとなって、大空を上に下にとダイナミックに飛行する様を表し、アリャビエフの「夜鳴きうぐいす」はまさに鳥の囀りを思わせるロシア語の歌。その歌声はまるで異国の景色を映し出すかのようにファンタジックです。音楽とは、イマジネーションの旅に誘うものでもあります。
音楽の父、バッハが残した
コミカルな「コーヒー」の歌

この日ステージを共にする、ピアノの佐藤さん、チェロの市さんは田中さんと同い年ということも明かされ、それもあってか、曲間のトークのやりとりもとても和やか。その空気のなか、前半の最後にはバッハの「ああ、なんて美味しいの、コーヒーは!(『コーヒー・カンタータ』より)」が披露されました。バッハといえば音楽の父と称される偉大な作曲家。そのバッハにも、こんなにコミカルで楽しい歌曲があったのです。田中さんの解説によれば、「バッハの時代にヨーロッパにもコーヒーが入ってきて、それが大流行し、飲み出したら止まらなくなるということで、ちょっとした社会問題にもなっていた」そうで、そんな世相を歌にしたものを(宗教的な題材で書かれたものを「教会カンタータ」と呼ぶのに対して)「世俗カンタータ」と呼ぶのだそう。このバッハの歌曲は、コーヒー好きの娘とそれを咎める父親とのコミカルなやりとりを描いたもので、そう聞くと、なんだかバッハがとても身近に感じられます。そのコミカルなカンタータを、田中さんはポットからカップにコーヒーを注いで飲み干す歌劇風のマイムを入れながら披露。とても楽しい一幕でした。

20分の休憩をはさみ、ブルーのドレスに着替えた田中さんが再びステージに登場すると、後半はクリスマスムードが漂う楽曲からスタート。シューベルト「アヴェ・マリア」での清冽なソプラノには心を奪われました。そして「続きましても、クリスマスらしい、教会らしい曲です」と田中さんが語れば、佐藤さんが「彩子さんもいろんな教会で歌われていたんですよね」と水を向けます。それを受けて田中さんは、ソプラノ歌手として駆け出しの頃を振り返り、「ウィーンのあちこちの教会から仕事を受けて歌っていました。たぶんウィーンのほとんどの教会で歌ったことがあると思います」と懐かしく語る場面も。そして披露したのが「天使の糧」。さらにウィーンでもよく歌ったというモーツァルトの「ラウダーテ・ドミヌム(証聖者の荘厳晩課より)」、さらにはパガニーニ/クライスラーの「ラ・カンパネラ」。「ラ・カンパネラ」では、日本でもおなじみのあのメロディが、チェロとピアノとで響き渡り、田中さんの母音唱が、それもひとつの楽器であるかのように美しいアンサンブルを紡ぎ上げていきました。

モリコーネの映画音楽が
懐かしい景色を引き連れてくる
さらにこの後半には、誰もがそのメロディを知る映画音楽の名曲も。モリコーネの「愛のテーマ(映画『ニュー・シネマ・パラダイス』より)」の披露です。この曲にも実は歌詞がついていて、田中さんは「非常にロマンチックで、とても情熱的なイタリア語の歌詞です」と言い、その歌詞の解釈についても熱く語ってくれました。そしてピアノが耳馴染みのあるフレーズを響かせると、瞬時にあの名作映画の景色が甦ります。その旋律が映画の世界を思い起こさせ、懐かしくやさしい気持ちに包まれるようでした。田中さんの美しい歌声が、遠い追憶を呼び覚ますような、とても感動的な時間でした。
ラストは、ウィーンフィルのニューイヤーコンサートでもおなじみの、ヨハン・シュトラウス・2世「春の声」。この曲について田中さんが「実はオリジナルで歌詞がついています。なぜかあまり歌われないんですが」と語ると、佐藤さんが「というのも、(歌唱が)すごく難しいからなんです」と補足。そして田中さんは「『春』とは季節の『春』と言う意味だけではなく、辛いことや悲しいことがあっても、それがいつか雪解けて、春のように幸せな日が訪れるという思いも込められています」と解説。そして「非常に明るく、縁起の良い曲ですので、みなさまのご多幸をお祈りしつつ、この曲で締めたいと思います」と告げると、華やかで力強いチェロの音が鳴りわたり、ピアノが軽快なリズムを刻みます。田中さんのソプラノが、その音の上で春の訪れを寿ぐように明るく響き、透明感のある突き抜けたファルセットが暖かな陽射しのように会場を満たしていきました。言葉では説明しづらい、陽のエネルギーを受け取るような、まさに「縁起の良い」感覚。クラシックやオペラに馴染みがなくとも、誰もがこの歌声の表現力には圧倒されるはず。歌い終わり、3人がステージを去ってからも、大きな拍手は鳴り止まず。再びステージに登場したトリオはアンコールに応えてくれました。

アンコールは、再びモリコーネによる「ネッラ・ファンタジア(映画『ミッション』より)」。田中さんはこの曲について、「ファンタジーのなかでしか幸せは築いていけないのだろうか、いや、そんなはずはない。きっと幸せになれるんだという、心の平和、世界平和を祈った曲です」と歌詞の意味を説明したあと、「本日はどうもありがとうございました」と、訪れた人々に感謝を述べると、やわらかく語りかける、天使のような歌声で会場中を魅了。この、やわらかな光に包まれるような音楽体験は癒しでもあり、まるで明日への希望のようにも感じられました。クラシックやオペラの歌曲を身近に感じ、ソプラノの魅力に直に触れ、またいろいろな曲を田中さんの歌声で聴いてみたいと思う夜。本当に素晴らしい「音楽」がそこにありました。
田中 彩子さん
18 歳で単身ウィーンに留学。 22 歳でスイスベルン州立歌劇場にて同劇場日本人初、且つ最年少でのソリスト·デビューを飾る。
その後ウィーンをはじめロンドン、パリ、ブエノス・アイレス等世界で活躍の場を広げている。
ソプラノの中でもさらに高い音域のコロラトゥーラは透き通るような歌声が特徴 で「天使の声」と称され、その歌声を操る数少ない一人。
2019 年 Newsweek 誌 「世界が尊敬する日本人 100」 に選出。アルゼンチン最優秀初演賞受賞。イギリス BBC ミュージック・マガジンにて 5 つ星を受賞。
ブエノス・アイレスのムジカ・クラシカマガジンの表紙を飾る。
《彼女の声は素晴らしいアジリティと本物の叙情的な美しさを持っている》
– イギリス ミュージックウェブ・インターナショナル
《田中は華麗なる鋭敏さと透明さを誇る声だ》
– アメリカン・レコードガイド
広島 AICJ 中学・高等学校理事長。
ウィーン・東京在住。
オフィシャル HP:https://www.ayakotanakaofficial.com/
【公演情報】
公演日:2026年5月22日(金)
開場 18:30 / 開演 19:00
会場:浜離宮朝日ホール(東京都)
公演タイトル:AYAKO TANAKA ≪MANIAC≫ Vol. 2
文:杉浦美恵
撮影:堀田力丸










