映画ソムリエ東 紗友美の「映画と暮らす」

2019.03.13

「アガサ・クリスティー ねじれた家」
美しきミステリーが語るお金の真実

© 2017 Crooked House Productions Ltd.

 

「まだ観たことがないの?

これからこの物語と出会えるなんて、あなたって羨ましい!」

その映画を観ていない、知る楽しみが残されている人に対して、こんな言葉をかけたくなる作品に時々めぐり逢う時がある。

 

ミステリー小説の女王、アガサ・クリスティー。

その名を聞いたことがないという人は少ないのではなかろうか。

エルキュール・ポアロやミス・マープル等、現在でも愛され続ける探偵キャラクターを世の中に生み出してきたクリスティー。

発行部数はなんと全世界で20億冊を越え、その功績からイギリスの大英帝国勲章も2度受賞している彼女の作品は、これまで幾度となく映像化されてきた。

例えば、「オリエント急行殺人事件」に「そして誰もいなくなった」、「ABC殺人事件」等々…。

 

しかし、今回紹介する「ねじれた家」について、筆者は聞いたことがなかった。

ミステリー評論家によると、本作を知っていたとしたら、相当なクリスティー通と言えるらしい。

 

ねじれた家。

それは、誰もが1度は夢に見たような美しいお屋敷に住むねじれた心を持った住人たちの間で起きた哀しくも心に刻まれる忘れがたきミステリー。

 

巨万の富を築き英国でもその財力が有名だったアリスティド・レオニデスが、突然の死を遂げた。
レオニデスの孫娘であるソフィア(ステファニー・マティーニ)は、大邸宅に暮らす一族の何者かに祖父が殺されたのではないかと推測し、昔の恋人であり探偵事務所を営むチャールズ(マックス・アイアンズ)に捜査を依頼する。

そんな中、レオニデスの死因は毒殺だったことが判明する。

容疑者は、ソフィアも含む大邸宅に暮らす全員。

果たして、レオニデスを殺したのは誰なのか?

一族の中に、犯人がいるのだろうか…。

 

 

© 2017 Crooked House Productions Ltd.

 

 

1949年に刊行された原作はクリスティーファンからも人気が高くクリスティー自身も、己の最高傑作と語っている。

しかし、これまで映像化されることはなかった。

衝撃のラストを堪能できると評された本作だが、それはある意味とてもショッキングな結末とも言える。そのせいか出版社サイドが結末を変更してほしいとクリスティーに依頼したという逸話も。そんな理由も影響しているのか、原作が発表されてから70年の月日を経て、ようやく私達はねじれた家の重い門をくぐることができることになったのだ。

 

映画は、あまりにも美しかった。

まず、インテリア雑誌から飛び出したようなおしゃれな部屋の数々は、もしこの屋敷に招待されたならどんな時間を過ごそうか、なんて妄想の時間に私を誘う。

玄関から吹き抜ける大きな階段、寝室、書斎、食卓、庭園。

そこに暮らす老婆、後妻、夫婦、子供…。

お屋敷に住む性別や年齢もバラバラなキャラクター達の趣味嗜好によって異なる空間が用意されおり、その一部屋ひと部屋を覗くことができるのでインテリア好きには堪らない。

なにげないクッションの配色や置き方、花と花瓶のバランス。

画面を構成する一つひとつの要素に感化され大掃除とまではいかなくとも、鑑賞後は写真立ての角度を少しだけ変えてみるなど、部屋を美しく魅せるための小さな行動の引き金をひいてくれた。

 

 

© 2017 Crooked House Productions Ltd.

 

 

さて、この物語は富豪の死による遺産相続がキーワードとなっている。

遺産が欲しくてたまらない容疑者たち。

お金があるほど欲しいものを買えたり好きな場所に行けたりと、自由でいられる気がする。

しかし、この映画が衝撃の結末とともに驚かせてくれたのはお金があればあるだけ幸せになれるとは言いきれないというもう1つの真実。

例えば、環境を変えたいと思っていても経済的な豊かさに縛られ、今いる場所から動きだせないこともある。

普通では抱かないような突飛な欲望も生まれてしまい、身の丈にあった幸せに気付けず湯水のごとく欲が生まれ続ける。

 

生き方を束縛されているのは、実はお金を手にした人なのかもしれない。

お金そのものが人を幸せにしてくれるのではないのだ。

 

年収と幸福度指数の相関関係についてはよく経済誌等で話題に上がる。

有名な論文だと行動経済学者ダニエル・カーネマン氏の研究。

———収入の増加による幸福度の上昇には限界があり、年収が75,000ドル(約800万円)を越えると幸福度と収入は連動しなくなる———

 

人間の幸せをはかる要素は、さまざまだ。

先に述べたが、自分の生活に合ったお金、健康面、安全面、人間関係、目標や夢の有無、他人への感謝があるか。

そして重要なのはこれらのバランスを取り、外側からは決して見えない自らの心の健康を保っていられなければ幸せとは言えないとこの物語は教えてくれる。

図らずも、幸せの定義を見つめ直すきっかけをくれたのだった。

 

2017年に「オリエント急行殺人事件」が1978年以来約30年ぶりに映画化され、2020年10月2日にはその続編「ナイルに死す」が全米公開予定。

日本人にとっては2時間ドラマの影響なのか、ミステリーはテレビで十分と思う人もいるかもしれないが、それはこの映画には決して当てはまらない。

この豪華さこそ、スクリーンで味わうべきだと私は伝えたい。

 

ミステリーは、日常から離れる楽しみをくれる。

エキサイティングな展開にハラハラとしてみたり、意外な動機や犯人にゾクッとしたり、ときには探偵になったつもりで事件を推理しながら観るのもいいだろう。

 

そして、わたしが最も良い時間を過ごせたと感じるのは、物語に一杯食わされた瞬間だ。騙される快感。心地よく裏切られる楽しみ。

普通の生活では絶対に望まないエンターテインメントだけに期待する願望に大いに応えてくれる極上の逸品といえる。

 

アガサ・クリスティー ねじれた家

4/19(金)より 角川シネマ有楽町、 YEBISU GARDEN CINEMA他全国ロードショー 配給:KADOKAWA

 

 

 

映画ソムリエ 東 紗友美(ひがし・さゆみ)

1986年6月1日生まれ。2013年3月に4年間在籍した広告代理店を退職し、映画ソムリエとして活動。レギュラー番組にラジオ日本『モーニングクリップ』メインMC、映画専門チャンネル ザ・シネマ『プラチナシネマトーク』MC解説者など。

HP:http://higashisayumi.net/

Instagram:@higashisayumi

Blog:http://ameblo.jp/higashi-sayumi/