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2019.07.29

言葉で伝えられない心と存在をかたちに。
森美術館「塩田千春展:魂がふるえる」

《時空の反射》(部分) 2018年 白いドレス、鏡、鉄枠、Alcantaraの黒糸 280×300×400 cm コミッション:Alcantara S.p.A. 展示風景:「塩田千春展:魂がふるえる」森美術館(東京)2019年 撮影:Sunhi Mang 画像提供:森美術館

赤や黒の無数の糸の集合体が覆い尽くした部屋。その中に置かれ、行き場をなくしたかのような椅子やドレス。空中にまるで幻想のように浮かぶ船・・・。アートに興味のある人なら、どこかで目にしたことがあるかもしれない光景。作家の名は、塩田千春。ベルリンを拠点に、世界に活躍の場を広げる日本人美術家だ。

 

国際的な現代美術界で、彼女の名を知らぬものはいない。そんな塩田千春の現時点の集大成ともいえる過去最大規模の個展「塩田千春:魂がふるえる」が、東京・六本木の森美術館で開催されている。

 

塩田千春 《どこへ向かって》 2017/2019年 白毛糸、ワイヤー、ロープ サイズ可変Courtesy: Galerie Templon, Paris/Brussels 展示風景:「塩田千春展:魂がふるえる」森美術館(東京)2019年 撮影:木奥恵三 画像提供:森美術館

 

「現代アートは難しい」という言葉をよく聞く。確かに、作品に込められたコンセプト、作家の思いをしっかり理解しようとすれば容易ではないかもしれない。しかし塩田千春の作品は、まず見たまま直感的に感じることができ、しかも人間の根源的な問いに焦点をあてたテーマは深遠で、世界の人々に通じる普遍性をもっている。現代アートの面白さを知るのにこれほど適した教材もないだろう。

 

 

塩田千春は、これまで25年にわたる作家活動の中で、美術展、国際展、ギャラリー展示など、300本以上の展覧会に参加してきた。彼女の作品を最も特徴づけるのは大規模、かつダイナミックな没入型のインスタレーション。それゆえに多くの展覧会では1作品のみの展示ということも多く、今回のように代表的なインスタレーション作品が複数見られる展覧会は、世界的にも極めて貴重な機会になる。

 

《手の中に》 2017年 ブロンズ、真鍮、鍵、針金、ラッカー 38×31×42 cm
Courtesy: Kenji Taki Gallery, Nagoya/Tokyo 撮影:Sunhi Mang 画像提供:森美術館

 

最初に観客を迎えるのは、意外なほど小さな作品だ。子どもの両掌に包まれた造形物《手の中に》。繊細な針金からなる雲のようなモチーフは、作家の身体に含まれる生命、または魂を表現しているよう。その儚げな感覚は展覧会の副題である「魂がふるえる」を彷彿とさせる。その針金の奥に隠されたものは何か、ぜひ自身の目で見つけてほしい。

 

《不確かな旅》 2016/2019年 鉄枠、赤毛糸 サイズ可変 Courtesy: Blain|Southern, London/Berlin/New York 展示風景:「塩田千春展:魂がふるえる」森美術館(東京)2019年 撮影:Sunhi Mang 画像提供:森美術館

 

そして最初に現れる壮大なインスタレーションは、真っ赤な糸の集合体が、床におかれた舟と絡まり合いながら空間を覆い尽くす作品《不確かな旅》。彼女の作品に多く出現する糸の表現は、もともとは「かたち」のない存在に、かたちを与えるという意味あいを持つ。赤い糸の絡まりは、それだけでも圧倒的な光景で心に迫ってくるが、私たちはその空間を歩きながら、目に見えない繋がり、記憶、不安、夢といったものを意識させられる。舟の存在は一方で、不確かな旅の先にある出会いも示唆しているかのようだ。

 

 

ひとたび彼女の世界観を体感したそのあとで、私たちは塩田千春の足跡を年表と過去の作品でたどることになる。

 

展示風景:「塩田千春展:魂がふるえる」森美術館(東京)2019年 撮影:Sunhi Mang 画像提供:森美術館

 

12歳ですでに「美術家になりたい」と思ったという彼女は、京都精華大学で絵画を専攻。1993年からのオーストラリア国立大学留学中には《一本の線》という名の現在の作品にも通じるかのような大規模なドローイングを制作する。また「絵の中に自分が入っている夢をみた」ことをきっかけに、身体に絵具を塗り、作品の一部になるパフォーマンス《絵になること》を実施。そののちドイツに移ると世界的なパフォーマンスアーティスト、マリーナ・アブラモヴィッチの出会いも糧に、身体を使ったさまざまな試みを続けてきた。

 

《静けさのなかで》 2002/2019年 焼けたピアノ、焼けた椅子、Alcantaraの黒糸 サイズ可変 制作協力:Alcantara S.p.A. Courtesy: Kenji Taki Gallery, Nagoya/Tokyo 展示風景:「塩田千春展:魂がふるえる」森美術館(東京)2019年 撮影:Sunhi Mang 画像提供:森美術館

 

2001年の横浜トリエンナーレ参画の作品が高く評価されたあと、その翌年からは糸を使った作品を再び制作。燃えたグランドピアノと椅子が黒い糸で空間ごと埋めつくされる《静けさの中で》を初めて発表する。本展でも展示されるこの作品で、音の出ないピアノは沈黙を象徴しながら、視覚的な音楽を奏で、記憶や不安といった見えない何かを露わにする。

 

《時空の反射》 2018年 白いドレス、鏡、鉄枠、Alcantaraの黒糸 280×300×400 cm
コミッション:Alcantara S.p.A. 展示風景:「塩田千春展:魂がふるえる」森美術館(東京)2019年 撮影:Sunhi Mang 画像提供:森美術館

 

さらに、ドレスが黒い糸で埋めつくされた空間に浮かぶ《時空の反射》。再開発が進むベルリンで、取り壊される建物の廃棄された窓枠約240枚を集めて構成した《内と外》など、代表的な作品がつづく。このふたつはともに「境界」を意識した作品だ。ドレスは自身の内部と外部の境界を象徴し、窓もプライベートな空間の内部と外部、あるいは東西ドイツを分断した壁も連想させる。身体感覚としての境界を探ることは「存在」を探ることにも似ている。

 

《内と外》 2008/2019年 古い木製の窓 サイズ可変 Courtesy: Kenji Taki Gallery, Nagoya/Tokyo 展示風景:「塩田千春展:魂がふるえる」森美術館(東京)2019年 撮影:Sunhi Mang 画像提供:森美術館

 

圧巻は、約440個のスーツケースが天井から吊り下げられ、振動を続ける作品《集積ー目的地を求めて》だ。これは塩田がベルリンの蚤の市で見つけたスーツケースの中に古い新聞を発見したことをきっかけに制作されたという。それぞれのスーツケースの中には見知らぬ人の記憶があり、移動の軌跡があり、それらはどこかできっと別の記憶とつながっている。旅人として、移民、難民として。それはこの世界に暮らすすべての人生の旅路をあらわしているようにさえ見える。

 

《集積―目的地を求めて》 2014/2019年 スーツケース、モーター、赤いロープ サイズ可変
Courtesy: Galerie Templon, Paris/Brussels 展示風景:「塩田千春展:魂がふるえる」森美術館(東京)2019年 撮影:木奥惠三 画像提供:森美術館

 

2017年、塩田千春は12年前の癌の再発という試練と向き合うことになった。死を感じながらの制作の中で、彼女の作品には身体のパーツが使われるようになる。本展で初の発表となる新作《外在化された身体》は、治療の過程でまるでベルトコンベアーに乗せられるように身体の部位が摘出され、抗がん剤治療を受けるなか、何か魂だけが置き去りにされているように感じたという経験に基づく。本人から型取った切り刻まれた身体は痛々しく、どこかに残された魂の不在を感じさせる。

 

生きる意味と向き合う「不在のなかの存在」

 

数々の作品を通して彼女が伝えたいことはいったい何だろうか。塩田千春は言う。「どうにもならない心の葛藤や言葉では伝えることができない感情、説明のつかない私の存在、そのような心が形になったのが私の作品です」。

 

その言葉にならない感情によって震えている心の動き、それがまさに「魂がふるえる」というサブタイトルにもつながっている。

 

目に見えない思いは、かたちがないばかりに、とめどなく際限なくあふれて広がっていく・・・。それは誰にでも経験のあることで、人間共通のテーマと言ってもいい。ダイナミックなインスタレーションで空間を覆う赤や黒の糸のような表現は、実は誰もが心の中に持っている内面的な宇宙を見えるかたちに紡ぎ上げて見せる、そんな行為に近いのかもしれない。だからこそ普遍性をもって世界の人々の心に訴えることができるのだ、と。

 

「言葉にならない」以上、それはまず展覧会で感じることから始めるしかないだろう。

 

撮影:Sunhi Mang

 

塩田千春展:魂がふるえる

会期:2019年6月20日(木)〜10月27日(日) ※会期中無休
会場:森美術館
住所:東京都港区六本木6-10-1 六本木ヒルズ森タワー53階
開館時間:10:00~22:00(最終入館 21:30)
※火曜日のみ17:00まで(最終入館 16:30) 10/22(火)は22:00(最終入館 21:30)まで
料金:一般 1,800円、学生(高校・大学生) 1,200円、子供(4歳~中学生) 600円、シニア(65歳以上) 1,500円
TEL (ハローダイヤル):03-5777-8600

ウェブサイト:www.mori.art.museum

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