パリとアート

2019.08.19

アンリ・ルソーのジャングルに
命を吹き込んだパリ自然史博物館。

パリでアートといえばすぐイメージするのは、市内に数ある美術館やギャラリーだろうか。しかし、歴史上多くの画家や彫刻家を生み出し、芸術の都とまで言われてきたパリには、芸術家にインスピレーションを与えてきたたくさんの「風景」が残されていて、それもまたアートなパリを感じる要素になっている。

 

その中のひとつ、今回はパリ5区にある「パリ植物園」と「自然史博物館」をご紹介したい。

 

セーヌ川のほとり、国鉄オステルリッツ駅のすぐとなりにある植物園は、全体の面積が約23.5haで東京でいえば日比谷公園の約1.4倍の広さがある。

 

パリ植物園

 

最初に創られたのは今から400年近くも前にさかのぼる1635年。太陽王の父、ルイ13世の勅命によって「王立薬用植物園」が創設され、その名の通り薬草の研究をしていたが、その後は動植物など自然全体が研究対象となって、フランス革命後すぐの1793年には「自然史博物館」が早くもオープンした。

 

今では、季節に移ろう花や植物が見られる植物園に、熱帯の植物がおい茂った巨大な温室。動物や昆虫などの剥製が並ぶ「進化の大ギャラリー」。そしてありとあらゆる骨格がならぶ「古生物学と比較解剖学のギャラリー」など、自然や生き物に関わる展示がそれぞれ歴史的な建造物の中におさめられて、植物園の敷地内に点在する。

 

 

「自然」は、そもそも人間の創作の大きな源泉。身近にある自然や生き物はもちろん、地球上の見知らぬ植物や動物の生態は、芸術家たちの好奇心や想像力をかき立ててきた。

 

フランスの画家、日本でも有名なアンリ・ルソーもその一人。パリの税関の職員だった彼が仕事の余暇に描いていた絵は、当時あまり評価されなかったが、誰にも真似のできない独創的なタッチとシュールレアリスムの領域を感じさせる幻想的な情景で次第に評価が高まる。やがて美術史上に残る画家の一人になったことはご存じの通りだ。

 

そのアンリ・ルソーが幾度となく描いたのが、熱帯ジャングルの動植物だった。オルセー美術館所蔵の『蛇使いの女』、あるいはニューヨークMOMAに所蔵される『夢』は、その中でも最高傑作といえる。

 

アンリ・ルソー 『蛇使いの女』 Henri Rousseau, dit le Douanier (1844-1910) La Charmeuse de serpents 1907 Huile sur toile, Musée d’Orsay

 

まるでジャングルを知っているかのような、緻密で湿り気のあるリアルな表現。でも実は本人がジャングルへ行ったことは生涯に一度もなかった。

 

その代わりにルソーが通ったのが、ここパリの植物園だった。現在「ニューカレドニア温室」と呼ばれる場所は、建設された1836年当時「オリエンタル館」と名づけられパリ市民の人気を集めた。フランス人たちはまだ知り始めたばかりの「世界」にときめいたのだった。

 

パリ植物園の大温室(奥が1836年に完成したオリエンタル館=現・ニューカレドニア温室)

 

1844年生まれのルソーはこの当時まだ珍しかった鉄骨とガラス張りの温室に行き、熱帯の空気や湿気を感じ、ここでしか見られない植物を念入りにスケッチ。足りない部分は、雑誌などに掲載される実際のジャングルの写真や挿絵、そして夢想家であった彼の豊かな想像力で補って、作品を仕上げていった。

 

大温室内部

 

見たことのないジャングルへの強い憧れと好奇心に突き動かされた絵画の数々。もしかしたら実際には訪れていないからこそ、あのどこにもないような世界観が生み出せたのかもしれない。

 

大温室内部

 

温室には残念ながら動物はいない。アンリ・ルソーがフランスにはいない熱帯の動物を描くために通ったとされるのが、温室に隣り合う「自然史博物館 – 動物学のギャラリー」。ここにおかれた剥製が彼の心を刺激し、このおかげで細かなディテールまでを知り、生き生きとした動物の姿を描くことができたのだ。

 

自然史博物館「進化の大ギャラリー」(旧動物学のギャラリー)

 

1889年に開館した「動物学のギャラリー」は1991年に「進化の大ギャラリー」に改装され、現在哺乳類、鳥類、魚類、昆虫などありとあらゆる動物の剥製や標本が、中央に壮大な吹き抜けをもつ内部建築の中にずらりとそろう。量、質、美しさと、まさに圧巻の光景がそこにある。これこそが自然史博物館が18世紀の創設から長い時間をかけてコレクションしてきた宝物で、展示されているものだけでも約7,000点もの剥製・標本があるという。

 

進化の大ギャラリー内部

 

進化の大ギャラリー

 

動物の剥製がおかれた博物館は世界に数多くあるが、ここの特徴は吹き抜けの中央にレイアウトされたサバンナの動物たちの大行進だろう。キリンやシマウマ、ゾウ、サイ、インパラなどが一緒に群れをなして歩くという、サバンナでもあり得ない光景だが、美しく調和がとれて違和感がない。そして地球はひとつで、われわれ人間もふくめ動物や植物はともに暮らしているのだということを無意識に感じさせてくれる。

 

 

今にも歩き出しそうなリアルな雰囲気の動物たちに、中には身を引いたり泣き出す子供もいるほどだ。

 

上階に行くと、ほかにもゴリラ、シロクマ、鳥、美しい蝶などの昆虫、希少な動物たちが所狭しと展示され、まるで巨大な百科事典を見るよう。写真ではわからない立体的なディテールをもった剥製や標本は、今でも芸術家たちや市民にインスピレーションを与えつづける。

 

そして他ではなかなか見られない自然史博物館いちばん人気のスポットといえば「古生物学と比較解剖学のギャラリー」だろう。

 

自然史博物館「古生物学と比較解剖学のギャラリー」内部

 

建築家のフレデリック・デュテールによって設計された建物は1898年の完成。ここは解剖学のギャラリーで、動物を中心にした骨格が並んだ独特の光景が広がっている。ここも「進化の大ギャラリー」と同じようなコンセプトで、やはり動物やクジラたちは骨なのに群れをなすようにおかれている。

 

自然史博物館「古生物学と比較解剖学のギャラリー」内部

 

今にも動きだしそうな上に、鳴き声や息づかいが聞こえそうな雰囲気。まるでSF映画で骨だけの動物の世界に迷い込んだかのような不思議な感覚が私たちを包む。

 

進化の大ギャラリーやここ解剖学のギャラリーに通底しているのは、単に剥製や骨を標本として置くのではなく、それらを動物としてあるべき姿で展示しているということだろうか。そこにはある種の美意識や物語性があって、それが私たちをさらなるイマジネーションへとかきたてる。

 

パリ市民が愛し、アンリ・ルソーなどの芸術家たちが愛した自然史博物館。そこは、想像というワンダーランドの入口だったのだ。

 

 

 

Muséum national d’histoire naturelle 自然史博物館

Jardin des Plantes de Paris パリ植物園

36 rue Geoffroy Saint Hilaire 75005 Paris

総合ウェブサイト:https://www.mnhn.fr/

 

 

 

杉浦岳史/ライター、アートオーガナイザー

コピーライターとして広告界で携わりながら新境地を求めて渡仏。パリでアートマネジメント、美術史を学ぶ高等専門学校IESA現代アート部門を修了。ギャラリーでの勤務経験を経て、2013年より Art Bridge Paris – Tokyo を主宰。現在は広告、アートの分野におけるライター、キュレーター、コーディネーター、日仏通訳として幅広く活動。

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