パリで輝く女性たち

2018.10.03

夢のケーキをかなえるパティシエ
パリChez Bogato 稻澤美絵さん

バレエダンサーを夢みる娘の誕生日にトーシューズのケーキを。パリのメトロをこよなく愛する彼に路線図のケーキを。ウェディングケーキに二人の忘れられない記憶を。はたまたアニメ、動物、乗り物、本、裁縫道具などなど、大切な誰かのために、その人ならではの特別なケーキがつくれたら・・・。どこまでも広がるイマジネーションを空想のままにせず、かなえてくれる店がパリにある。

 

その名は「Chez Bogato シェ・ボガト」。

 

パリの14区にある大人気のパティスリーは、オーナーはもちろん、クリエイションから販売までスタッフがすべて女性ばかり。そのなかに、シェフデコレーターとして創業準備からオーナーと二人三脚で店を立ち上げ、夢を広げてきた日本人パティシエがいる。稻澤(いなざわ)美絵さんだ。

 

 

 

 

東京の大学で住居・インテリア専攻で建築を学び、CADオペレーションの仕事に就く。しかしまもなく、学生時代から闘病を続けていた母親が亡くなる。ショックの中、ふと「好きなことで仕事がしたい」と思い始めて、出てきたのがお菓子づくりだった。家族の誕生日のたびにケーキを作ってくれていた母。「でもお母さんの誕生日に作ってあげる人がいないじゃない!」と小学生ながら一生懸命にケーキをつくった思い出が甦る。母の喜ぶ顔がうれしかった。

 

新しい職場に選んだのは、当時日本に上陸して間もないフランスのショコラティエ、ピエール・エルメ。ただし製造には空きがなく販売の仕事。もやもやした気持ちを抱えながら1年半ほど勤めた頃、転機が訪れる。なぜかパリの郊外に住む日本人学者夫婦のお世話をするという、ちょっと変わった仕事の依頼。「フランスに行ける」・・・それでも何かピンとくるものがあって、フランス語も仕事の大変さもわからないまま海を渡った。

 

それは2003年。少ない自分の時間を使ってパリ中心部に出て語学学校に通いながら、近くにたくさんあったパティスリーで素敵なケーキたちに出会う。やがてあこがれを胸に、調理師・パティシエを養成するパリの名門「エコール・フェランディ」に通うことになる。

 

 

パリ中心部6区にある調理・菓子の専門学校エコール・フェランディ

 

 

ちょうど語学学校で一緒だった友人が、近くのブーランジュリー(パン屋)さんで働くようになったが、そこでたまたまお菓子担当が辞める。まずは見に来たら?とのオーナーの声にここぞとばかりにお手伝い。その手さばきを認められて最初は週末だけ、次はバカンス中も、と少しずつ腕を認めてもらえるように。外国人には極めて難しいパティシエのフランス国家資格(CAP)を苦労して取得し、そのまま店に正式なスタッフとして迎えられた。しかしまた1年もすると「もっとケーキらしいケーキ」をつくりたいと思うようになってきた。

 

そこにまたしても運命の出会い。「エコール・フェランディ」の卒業生の集まりで再会した友人が、たまたま将来の同僚となるアナイスと友人だった。アナイスは元グラフィックデザイナーのフリーランスパティシエ。その絵心を活かして自宅でオリジナル注文生産のケーキを作っていたが、店を持ちたいと相棒を探していた。「手先の細かな日本人がいる」。あいだに立ったその友人の紹介で即座に美絵さんへ電話、自分の構想を語り出す。一方の美絵さんは、自分にはまだまだ経験が足りないと感じていた。「私でいいの?」という思いもあった。でも心のどこかに「私が求めていたのはこんなワクワクするケーキ作りだったのでは?」と自分を後押しする気持ちがあって、彼女が自分に期待してくれたというその思いに賭けた。渡仏からわずか5年目のことだ。

 

 

まだ見ぬ店の名前は「Chez Bogato シェ・ボガト」。「ボガト」はbeau gâteau(美しいケーキ)から来ている。コンセプトはシンプルだ。「見た目にかわいくて、しかも美味しく食べられるケーキ」。美味しくなくていいなら独創的なケーキはたくさんある。でも子供も大人もワクワクするようなかわいいお菓子でそれが美味しいとなるとハードルは途端に高くなる。そこからは2人の具体的な店づくりが始まる。

 

働いていた店は辞めずに朝6時から13時までパン屋の仕事。そして午後からアナイスの家で構想づくり。店を出すとなれば、注文のケーキだけでなく、そのパティスリーの「名物」を並べなくてはならない。どんなお菓子をどんなレシピで作るのか。最高の味のケーキを目指し、材料となるマジパンやチョコレートは世界の有力パティシエが使うフランスのヴァローナから仕入れ、使われるアーモンドは遺伝子組み換えのないもの。バター、クリーム、卵は100%オーガニック。芝生や花壇の緑はレバノンから来たピスタチオをくだいて作る、などという徹底したこだわりよう。注文が来れば一緒にケーキを作り、店舗スペース探しもした。

 

 

 

 

彼女たちが「ラボ」と呼ぶ製造アトリエ付きのショップがようやくオープンしたのは、1年後の2009年5月。ショーケースに照明をつけ店を開け、接客からレジ打ち、製造まで手がける。なにもかも手探りではあったけれど、思えばそれまで日本とフランスで経験してきたことばかり。「すべてがここにつながっている・・・」。「シェ・ボガト」のスペシャリティである注文ケーキでは、意外にも建築を学んだ経験が生きた。

 

 

パリ14区にある「シェ・ボガト」はショップ自体がお菓子の家のよう

 

 

彼女の頭の中では、たとえば家族の「こんな家を作りたい」という思いを実現するのと、家族の思いをカタチにしたケーキを作るのとはどこかで共通点があった。「家族は何人?」「注文主の思いは?」「予算は?」その中で出来うるベストを考え出す。まるで一つの夢の住まいを作るように、思いを重ねた立体のケーキが次々と生まれていった。

 

 

 

 

最初はお店で注文主の話を聞いて、デッサンを提案し、決まるとすぐ奥のアトリエでケーキを作った。やがてサッカー、スケートボード、消防車、宇宙船など、よく注文がくるケーキはプロセスが蓄積されていく。注文が増え、関わる製造スタッフが増えてきた数年前からは製造ラボを広い場所に移転。接客をするショップと密な連絡をとりあいながらケーキが生まれていく分業体制になった。

 

 

注文の多い型はデッサンのアーカイブにストックされ、次の出番を待つ

 

 

現在「シェフ・デコレーター」と肩書きのついた彼女の役割は多岐にわたる。デコレーションのディレクションをメインに、製造の管理、どの材料がどれだけ必要か、どのように素材を組み合わせ、あるいはどうアレンジして要望にあったものを作るか、それも彼女の腕にかかっている。今も「美味しく食べられるフランス菓子」は大前提。当然新鮮さや柔らかさが求められるが、創作には時間がかかり、材料のフルーツやクリームは足が速い。また大きなケーキはほぼ「構造物」だが、それを構成するスポンジケーキやマジパンは柔らかい。さまざまに相反する条件をどうクリアして期限内に仕上げるか。常に時間との闘いだ。

 

 

彼女が持ち歩くノートにはスタッフへの指示や素材注文の
もととなる手書きの材料リストがびっちり

 

 

ラボで制作する美絵さんの仕事は手早く正確、美しい

 

 

時には無理を言ってくるクライアントもいる。しかし注文を受けたらソリューションは必ず見つける。シェ・ボガトを信頼してくれる人のために、最良のケーキを作り出す。今でもそれは毎回プレッシャーだが、その顧客の高い要望こそが、自分だけでは到達できない領域に連れて行ってくれた場面も多いという。「無理だけど無理といえない!」その土壇場の状況が新しい発想を生みだす。自分が持っているすべてのものからアイデアを繰り出し、それでも足りないものは編み出すしかない。それが自分の可能性を引き出してくれた。

 

 

キャラクターもののオーダーも多い。ロボットものは図面を読める美絵さんの得意分野

 

 

最近の「シェ・ボガト」は、雑誌とのコラボレーションで子供たちのパーティーを総合演出したり、企業のパーティーなどの総合プロデュースとそれに合わせたお菓子、ケーキの提案をするなど幅広い。単なるパティスリーの役割だけではなく、テーマと世界観をもったパーティーシーンを提案していく場面が増えてきた。そのぶん製造するお菓子の数もバリエーションも増える。

 

これまでいちばん注文が集まった時には、一週間に総計で1,700人分相当のケーキを作ったというが、ふだんでもかなりの数におよぶ。ベースを作るスタッフと、美絵さんのようにデコを担当するスタッフが分担して進めたりするが、すべて手作りであることには変わりない。サブレ(ビスケットの一種)専門の担当もいて、ひとつひとつ手作業する。女性だけのスタッフたちが気ぜわしく働く現場のラボは、まるで工場のようでもある。けれど彼女たちのその正確な手さばきからは、絵本から飛び出たようなかわいくてウィットのきいたケーキの部品やお菓子が次から次とできあがっていって、しかもそのクオリティがとても高い。

 

 

 

世界に知られるパリのアートギャラリーからの注文はワインを満たしたグラスのサブレ

 

 

 

 

 

「シェ・ボガト」は来年でオープンから10年。スタッフの女性たちは歳を重ね、次第に家庭をもちはじめた。美絵さんも、パリで活躍する日本人シェフと結婚、2年前に男の子が生まれた。職場では、スタッフがいま次々と産休に入り、そのたびに仕事の流れをやりくりする。大変だけれど、だれも迷惑なんて考えない。融通しあい、サポートしあって、当たり前のように子供を迎えに行き、働く時間帯を調整するあたりは、家族や子育て優先のフランスならではの光景かもしれない。

 

 

「シェ・ボガト」ラボ(製造アトリエ)の女性パティシエたち

 

 

「子供ができて、子供の視線で世の中を見ていると新しい発見がありますよね」と話す彼女。今までは美術館やデザイナーのクリエイション、日常の街で見かけるいろんなものがケーキ作りのインスピレーションの源になってきた。今は、子供が気になることや、子供のために作られたプロダクトなどの独自性にも気づかされて、新しい刺激を受けているという。

 

「めっちゃ頑固」を自称する美絵さん。お菓子づくりにしても自分で納得しないと先に進めない性格らしく、腑に落ちるまで時間がかかる時には「スタッフに迷惑かけてるかも」と話す。今だって言葉の壁もないとは言えないというが、ものづくりにかけるその思いと技術があればこそ、外国人でありながら周りも信頼し、認められているのだろうということは職場の雰囲気を見ても分かる。

 

パリの大人気パティスリーのクオリティを支える彼女は、今日も子育てと夢のケーキづくりに奔走する。

 

 

Chez Bogato シェ・ボガト

7 rue Liancourt, 75014 Paris, FRANCE

火〜土 10:00-19:00

メトロ6号線またはRER-B線で「Denfert-Rocherau」駅下車

http://chezbogato.fr

 

(取材・杉浦岳史)写真協力 Chez Bogato