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2017.06.12

美術と建築の関係性を再考した試み
岡本太郎×建築―衝突と協同のダイナミズム

芸術家の岡本太郎が関わった建築プロジェクトを詳細に紹介する展覧会「岡本太郎×建築」が、川崎市岡本太郎美術館で開催されている。この展示では、岡本太郎と建築家との協同から、どのようにプロジェクトが形作られていったのかが明らかにされる。

 

丹下健三をはじめ、坂倉準三やアントニン・レーモンドや磯崎新などとの関わりのなかで、岡本太郎の作品の幅が広がっていく様子はとても興味深いものだ。岡本太郎ファンにとっても、モダニズムの建築ファンにとっても、新たな視点を得られる必見の展覧会である。

 

 

岡本太郎がかかわった建築プロジェクトを紹介した展覧会場。

岡本太郎がかかわった建築プロジェクトを紹介した展覧会場。

 

 

初の建築コラボレーション展示企画を

有機的な会場で堪能する

 

「岡本太郎×建築」は常設展とは別の企画展で、建築との関わりを扱う展覧会は本美術館で今回が初めてだという。岡本太郎が関わった主な建築プロジェクトに基づいて、展覧会は7つのパートで構成されている。

 

入って正面すぐ、ガラスに囲われたスペースに展示されているのは、日本万国博覧会の「太陽の塔」の大きな模型。「お祭り広場」「大屋根」とともに再現され、本展覧会のテーマを象徴している。このプロジェクトは展覧会の最後のパートなのだが、最初の段階で視界に入ってくるのが面白い。今回展示されているいくつかの大きな模型は、横浜国立大学の建築学科の学生によって製作されたものだ。精巧なつくりで、細部の様子もよく確認できる。

 

会場構成をしたのは、フジワラテッペイアーキテクツラボを主宰する若手建築家の藤原徹平氏。通常の白い壁による仕切りではなく、3種類の高さで曲面もできる木製のパーティションを新たに製作。有機的に区切ることで、来場者が大きな空間の中で自由に鑑賞できるようにしている。

 

 

建築にかかわりのある岡本太郎の壁画やモニュメント、貴重な写真、資料などを数多く展示。

建築にかかわりのある岡本太郎の壁画やモニュメント、貴重な写真、資料などを数多く展示。

 

 

左手に折れて最初のテーマとして紹介されるのは、戦後のモダニズムを代表する建築家・坂倉準三との出会いであり、坂倉をはじめ建築家との交友関係が広がっていく様子が示される。岡本太郎はパリ留学中、ル・コルビュジエの事務所に在籍していた坂倉と日本人コミュニティの中で親交があったという。

 

二人は戦後に再会し、坂倉は岡本太郎がモザイクタイルの試みとして発表していた〈太陽の神話〉を見て、日本橋高島屋の地下通路の壁画を岡本に依頼した。そうして1952年、〈創生〉という作品が誕生。展示ではモチーフや構図を検討する原画や製作中の写真なども示され、思わず見入ってしまう。

 

それまで絵画のみを制作していた岡本は、坂倉との協同から、公共の空間に制作を行うパブリックアートも手がけていくようになる。また、1950年代は「芸術の綜合化」をキーワードに、建築家やデザイナーなど異なるジャンルの人々が活発に交流をしていた時代。岡本の交流関係も時を同じくして広がっていったことが示される。

 

1954年には、岡本は東京の青山にアトリエ兼自宅を坂倉準三建築研究所の設計によって建設。現在は岡本太郎記念館として公開されているが、建設当時は周辺から際立ったモダンな佇まいであったことが、写真や図面、模型などで実感できる。

 

 

(左)岡本太郎設計「マミ会館」(1968年)。(右)岡本太郎《日の壁》原画(1956年)、岡本太郎記念館蔵。

(左)岡本太郎設計「マミ会館」(1968年)。
(右)岡本太郎《日の壁》原画(1956年)、岡本太郎記念館蔵。

 

 

(左)岡本太郎《太陽の塔ドローイング》(1967年)、岡本太郎記念館蔵。(右)旧東京都庁「日の壁」(1957年)。

(左)岡本太郎《太陽の塔ドローイング》(1967年)、岡本太郎記念館蔵。
(右)旧東京都庁「日の壁」(1957年)。

 

 

岡本太郎《創生》油彩・キャンパス(1952年)、高島屋資料館蔵。

岡本太郎《創生》油彩・キャンパス(1952年)、高島屋資料館蔵。

 

 

建築家との協同で

ダイナミックに広がっていった創作活動

 

続けて紹介されるのは、戦後日本を代表する建築家・丹下健三との協同である。年下の丹下とともに、岡本は数々の代表作を生み出していくことになる。

 

丸の内の〈旧東京都庁舎〉では、玄関の「都民ホール」に設置された「日の壁」をはじめ、11面に壁画を制作。モザイクタイルでは壁画の素材としては弱いと丹下は判断し、岡本に陶板レリーフを提案した。

 

このときの石膏型のレプリカが今回展示されていて、大きさや凹凸感から醸し出される迫力に圧倒される。また、構図を決めるまでのドローイングを何枚も閲覧できる。勢いよく、かつ入念に検討された様子が手に取るようにわかる。

 

続けて、1964年の東京オリンピックにあわせて丹下が設計した〈国立屋内総合競技場〉でも、岡本は壁画などを制作。並んで展示されている建築模型や図面、映像では、壁画が納められていた建物の構成や成り立ちが把握できる。

 

このように建築事務所などから数々の資料提供を受けることによって、多角的に岡本の活動を立体的に捉えられることが、今回の展示の大きな特徴である。

 

 

建築家・磯崎新による会場構成された「岡本太郎」展/池袋西武百貨店(1964年)。

建築家・磯崎新による会場構成された「岡本太郎」展/池袋西武百貨店(1964年)。

 

 

(左)岡本太郎アトリエ兼住居(坂倉準三建築研究所・1954年)。 (右)デッブス邸茶室(レーモンド設計事務所)岡本太郎による浴室構成( 1962年)。

(左)岡本太郎アトリエ兼住居(坂倉準三建築研究所・1954年)。
(右)デッブス邸茶室(レーモンド設計事務所)岡本太郎による浴室構成( 1962年)。

 

 

次の展示パートとの合間には、岡本が国内外の各地方を巡ったときに撮影した写真が展示されている。何かを説明するというより、人々の日常の活動や街の様子を切り取ったような構図が印象的だ。岡本自身の視点が、ダイレクトに伝わってくる。

 

続いては、数多くのモダニズム建築を手掛け、日本の建築界にも大きな影響を与えたアントニン・レーモンドとの協同が示される。レーモンドが設計した〈デッブス邸茶室〉で、岡本は浴室のバスタブと壁面を構成した。

 

このプロジェクトの詳細は長らく不明であったものの、今回の企画をきっかけに原図や図面が発見されて、全体像が判明したという。なんとも居心地のよさそうな有機的なつくりで、現存していないことが残念である。

 

1957年に岡本が発表した「ぼくらの都市計画」「いこい島」は、丹下健三の「東京計画1960」と並んで展示。「ぼくらの都市計画」のとき、岡本のもとに丹下研究室から派遣されたのが、その後の建築界を牽引する建築家の磯崎新であった。

 

磯崎が独立して最初に手がけた仕事「岡本太郎展」については今回、一部が再現されている。暗い空間に、岡本の躍動感ある絵画や彫刻、椅子などが浮かび上がる様子は、今見ても斬新で息を呑むものだ。

 

 

レーモンド設計事務所「浴槽デザインスケッチ/BATH-ROOM PERSPECTIVES」(1962年)、岡本太郎記念館蔵。

レーモンド設計事務所「浴槽デザインスケッチ/BATH-ROOM PERSPECTIVES」(1962年)、岡本太郎記念館蔵。

 

 

坂倉準三建築研究所「岡本太郎邸 立面図」(1954年)、岡本太郎記念館蔵。

坂倉準三建築研究所「岡本太郎邸 立面図」(1954年)、岡本太郎記念館蔵。

 

 

万博前夜の岡本の充実した活動としては、岡本自身が設計した建築物〈マミ会館〉が模型や図面で紹介され、「明日への神話」が磯崎のドローイング「ふたたび廃墟になったヒロシマ」と並列して展示される。

 

そして、最後のパートの日本万国博覧会へとなだれ込む。岡本がテーマ展示プロデューサーとして参加したこのプロジェクトは、建築家との協同のクライマックスとして大輪の花を咲かせた。

 

今回の展覧会では、同時代の動きの中で岡本が生き生きと建築家たちと交流し、刺激し合って作品をつくり上げていった様子が浮き彫りにされている。展示パートを自由に行き来しながら制作プロセスを追うときに、感情の高まりが得られるはずだ。

 

本展覧会に合わせて製作された図録も、関連資料や新規インタビューが多数収められ、充実の内容である。岡本が建築家と協同した事例は他にもあるというので、将来の「岡本太郎×建築」展が今から楽しみになる展示であった。

 

(取材・文/加藤 純)

 

 

さまざまな岡本太郎芸術に出会える川崎市岡本太郎美術館。

さまざまな岡本太郎芸術に出会える川崎市岡本太郎美術館。

 

 

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岡本太郎×建築 衝突と協同のダイナミズム

会期:2017年4月22日(土)~7月2日(日)

会場:川崎市岡本太郎美術館

開館時間:9:30~17:00(入場は16:30まで)

休館日:月曜日

観覧料:一般1000円/高・大学生・65歳以上800円/中学生以下無料

*各種割引についてはウェブサイトを参照

住所:川崎市多摩区桝形7-1-5

電話:044-900-9898

http://www.taromuseum.jp

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