ライフスタイリスト

2016.07.08

フィットネスを通じて
自分の可能性に挑戦を!

SUMAUの「LIFE」カテゴリーに新コンテンツが登場! 初の動画連載となる「BODY DESIGN」では、日常の隙き間時間を使ってできる簡単エクササイズを紹介していきます。今回はパーソナルトレーニングジムを経営する講師の岡崎秀哉さんにそのフィットネス哲学についてお話を伺いました。

 

 

幼い頃からあらゆるスポーツを体験し

スポーツフィットネスの道へ

 

 

――まずはこの道に入られたきっかけから教えていただきたいのですが、子どもの頃からスポーツは好きだった?

 

そうですね。自分の記憶がないくらい小さいときからスイミングスクールに通っていたのですが、小学校に入学してからは、野球も始めました。さらに地元が岐阜県の飛騨高山という雪の多いところだったので冬はもちろんスキーも。そんなある日のこと、マラソン大会に出場したら、いきなり優勝! これをきっかけに陸上にも興味が沸いてきて、中学・高校時代は陸上、特に長距離中心の生活でしたね。

 

――スポーツ万能だったんですね。

 

どんなスポーツもソツなすこなすタイプだったと思います。特に両親がアスリートだったとか、スポーツが得意だったというわけではなく、最初はなんとなくなにかスポーツをやらせたほうがいいのでは、という程度だったと聞いています。ただ、幼い頃から学校の休み時間、遊びなどを通じ、自然な形でいろいろなスポーツに慣れ親しんでいたせいか、総じてどの運動も友達よりよくできたんです。それで褒められるとうれしくて、もっとうまくなりたいと思うようになり、今度は家で自主練習をやるようになった…と。

 

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――家での自主練習というと?

 

家に野球のグローブやバット、テニス、バレーボールやサッカーのボール、バドミントン、スケボーなど運動の道具がひと通りそろっていたのと、競技場やスポーツ施設が家から近かったので、そこで壁打ちの練習をしたりしていました。体育の授業って一年でカリキュラムが決まっているので、それを先回りして授業が始まる前に家で自主練習しておくんです。英語や数学を予習するのと同じですね。そうした積み重ねもあってか、高校までは、どの競技・スポーツもある程度の結果を出せるようになっていました。とはいえ、残念ながら全国のトップレベルまでには達することができなくて、それが自分の中で中途半端に思えたんですね。そこで大学に進学するにあたり、これだけ幅広いスポーツを練習によってできるようになったのだから、選手ではなく、体育教師や指導者、トレーナー、スポーツコンサルタントなど、サポートする側の仕事もあるのかなと考えたんです。

 

――それで鹿児島の国立鹿屋体育大学に進学なさった、と。岐阜からは随分と距離がありますが。

 

私の通っていた高校から鹿屋体育大学に進学した先輩は誰ひとりいませんでしたし、初めての土地なので多少の不安はありました。けれど選手ではない将来を決心したときに、ひとつの区切りとして、また、新しいスタートを切るためにも大きく環境を変えたかったんです。大学では生涯スポーツを専攻して、ジュニアから高齢者までのスポーツフィットネスのありかたやスポーツ栄養学などを学びました。同時に始めたのがセパタクローです。

 

――セパタクローって、また意外なチャレンジですね。

 

実は当初、自転車競技部に入部していたんです。競技者としては大学が最後と考えていて、最後に良い成績を残したいと選んだのが、独学でトレーニングを続けていた自転車競技です。けれど早々に「てんかん」という病気と診断されてしまい、自転車を断念せざるをえなくなった……。そこで、再起をかけ、次にチャレンジしたのがセパタクローです。日本ではまだマイナースポーツでしたから、大学日本一になれるのではないか、という思いと、競技としては難しいけれど、見せる部分も多く、その可能性にも魅力を感じました。

 

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――そして卒業後には、即、トレーナーの道へ?

 

いえ、最初に入社したのは、関東を拠点とするフィットネスのベンチャー企業です。ここでは主にフィットネスクラブのグループレッスンに関するプログラムの管理や開発、それをトレーナーやアルバイトスタッフに教育する仕事などをしていました。さらに並行して、都内の多くのジムを調べたり、見学に行ったりするなかで、パーソナルトレーニングが一部のアスリートだけでなく、一般の方へも広まっていくような流れが出てきたことに興味を持ち、そうした道をも模索するようになったんです。

 

――そこで、独立を決めるわけですね。

 

そうですね。2012年、フリーランスのパーソナルトレーナーとモデルの活動をスタートさせました。ありがたいことに比較的早く軌道に乗り、さらにパーソナルトレーニングを世に広めているライザップで、プログラム開発やトレーナー教育部分で関わる機会もいただきました。

 

――そして、翌年には「ベストボディジャパン東京大会」で優勝するわけですが、この大会についても少し教えてください。

 

2012年からスタートした大会で、平たく言えば“カッコイイカラダのナンバー1”を決める大会です。ボディビルの大会は筋肉量とバランス、その美しさを競うものですが、こちらは一般の人が憧れる身体の頂点を決めるのが趣旨。ポージング以外に、ウォーキングや品格も審査基準にあり、ミスユニバースの男性版といったようなイメージです。

 

(左)2013年、第2回ボディジャパン東京大会で優勝。(右)モデルとしても活躍

(左)2013年、第2回ボディジャパン東京大会で優勝。(右)モデルとしても活躍

 

――優勝してから、生活や仕事は変わりましたか。

 

それまでもトレーナーや企業のサポートをしながら、モデル業などをやっていたのですが、さらにオファーが倍増しました。美容クリニックやジムの広告モデル以外に、メディアでの露出も増え、海外の撮影ロケなども経験させていただきました。その頃、結成していた外国人とのダンスパフォーマンスグループのイベントでは、小さなラウンジに400人以上を集客したりして、これはまさにフィットネスの可能性を身を持って感じることができた体験でしたね。

 

(左)400人を集客したダンスパフォーマンスイベントでのひとコマ。(右)圧巻の6パック!

(左)400人を集客したダンスパフォーマンスイベントでのひとコマ。(右)圧巻の6パック!

 

――その後は、さらに活動の幅を広げられるわけですが。

 

スマホなどを活用して健康管理を推進するモバイルヘルスケア企業のアドバイザーや、パーソナルトレーニングジムのトレーナー教育、立ち上げサポートに加え、これからのパーソナルトレーナーにはサービスが重要と考え、「リッツカールトン東京」のスパ&フィットネスでサービス論を学ぶなど、さまざまな経験をしました。

 

――トレーナーはサービス業である、と。

 

そうです。私はトレーニングを教えるだけのトレーナーではこの先、生き残れないと考えています。昨今はパーソナルトレーニングも普及し、顧客単価も上がってきています。単にトレーニングを教えるだけでは顧客に満足してもらえないし、満足度が低いと、継続してもらえない。パーソナルトレーナーのグレードアップには、トレーニングコーチ+アルファの付加価値が必要だと思うんです。