行ってみたいデザイン空間

2017.02.27

宮殿建築を極めた迎賓館赤坂離宮
絢爛たる「朝日の間」が特別公開

工事改修のため2年間閉室になった「朝日の間」。
格が違うとはこういうことか──。約100年前に「東宮御所」として建設された迎賓館赤坂離宮は今もなお、気品を漂わせ、輝きを放っていた。今回は2月に行われた「朝日の間」を中心とした特別公開の模様をお伝えする。テレビや雑誌でおなじみの、国際交流の場となる建築の実際を確かめていただきたい。

 

 

世界の国賓、公賓が宿泊し、華やかな外交活動の舞台でもある迎賓館赤坂離宮。

世界の国賓、公賓が宿泊し、華やかな外交活動の舞台でもある迎賓館赤坂離宮。

 

 

「彩鸞(さいらん)の間」。訪れた来客が最初に案内される控えの間などに使用される部屋。

「彩鸞(さいらん)の間」。訪れた来客が最初に案内される控えの間などに使用される部屋。

 

 

「花鳥の間」。公式晩餐会が催される大食堂。

「花鳥の間」。公式晩餐会が催される大食堂。

 

 

華やかな中央階段・大ホール。

華やかな中央階段・大ホール。

 

 

「羽衣の間」。歓迎行事や会議などが行われる。

「羽衣の間」。歓迎行事や会議などが行われる。

 

 

時代の新旧や洋の東西を超えた

圧倒的で優美な建築物

 

東京の四ツ谷駅を降りて南側を見ると、真っ直ぐ伸びる道路の先、高い格子状の柵の向こうに迎賓館赤坂離宮(通称、赤坂迎賓館)がある。その敷地は約3万5,500坪。赤坂御用地の深い緑を背景に、華麗でありながら威風堂々とした姿は目にされたことがあるだろう。

 

以前はごく限られた期間しか公開されていなかったが、2016年からは賓客を迎えるのに支障のない範囲で、可能な限り通年で一般公開されている。ぜひ間近で建物の雰囲気を感じ、詳細を確認していただきたい。

 

迎賓館赤坂離宮のある場所は、かつて紀州徳川家の江戸中屋敷があった敷地の一部。明治維新以降に近代国家として発展するなかで、東宮御所(後に赤坂離宮)を新たに建設する機運が高まり、一流の建築家や美術工芸家が結集。総力を挙げて約10年の歳月をかけ、西洋風の宮殿建築が明治42年(1909年)に完成した。

 

建築家として総指揮をとったのは片山東熊で、師のジョサイア・コンドルに学び、多くの宮廷建築を設計した人物である。

 

 

(左)日本で唯一のネオ・バロック様式の西洋風宮殿建築で1909年完成。 (右)鉄とガラスの優美な庇は、当時フランスで流行していたアール・ヌーヴォーの影響を受けている。

(左)日本で唯一のネオ・バロック様式の西洋風宮殿建築で1909年完成。

(右)鉄とガラスの優美な庇は、当時フランスで流行していたアール・ヌーヴォーの影響を受けている。

 

 

建物の構造は鉄骨補強煉瓦造りで、地上2階・地下1階の耐震・耐火構造。建物に近づきながら正面側に回っていくと、大きなスケールが実感できる。幅が125mで、高さ23.2m。日本における唯一のネオ・バロック様式とされる建物は外壁が花崗岩で覆われ、屋根が緑青の銅板葺き。そして出入り口の周りや屋根などには、華麗な装飾が施されている。ヨーロッパの都市に建っている、としてもおかしくない姿だ。

 

ところが、時代の新旧や場所の東西をも取り込み、建物の各部に融合させてしまう手法が見られることに注目したい。例えば、建物正面で中央以外に左右にあるそれぞれの出入り口には、鉄とガラスでつくられた優美な庇がかけられている。これは、建設当時にフランスなどで流行していたアール・ヌーヴォーの影響を受けたものだとか。

 

また、建物中央の頂部に戴く像は、なんと鎧兜をまとった武者の姿。しかも、二体のうち一方は口を開け、もう一方は口を閉じている。「阿吽(あうん)」を表した阿形像と吽形像なのである。その他、鳳凰や菊の御紋もあしらわれている。これだけ個性的な装飾要素を用いながら、全体の調和を少しも乱していないのには驚く。

 

なおこの建物「赤坂離宮」は、戦後に迎賓施設として改修されることになり、昭和49年に現在の迎賓館赤坂離宮が完成した。改修にあたったのは、やはり日本を代表する建築家の村野藤吾である。

 

 

「彩鸞(さいらん)の間」。室内の装飾は、19世紀初頭フランスで流行したアンピール様式。

「彩鸞(さいらん)の間」。室内の装飾は、19世紀初頭フランスで流行したアンピール様式。

 

 

(左)天井高は約9m。楕円形のアーチ状は天幕を張ったように見せる意匠になっている。 (右)部屋の名称は暖炉両脇の「鸞」と呼ばれる霊鳥の浮き彫りがあることに由来。10枚の鏡が部屋を広く見せている。館内はセントラルヒーティングで冷暖房完備、暖炉がダクトになっている。

(左)天井高は約9m。楕円形のアーチ状は天幕を張ったように見せる意匠になっている。

(右)部屋の名称は暖炉両脇の「鸞」と呼ばれる霊鳥の浮き彫りがあることに由来。10枚の鏡が部屋を広く見せている。

 

 

和洋折衷の華やかな「彩鸞(さいらん)の間」

「アンリー二世様式」の重厚な「花鳥の間」

 

建物の中に入り、まず案内されたのが「彩鸞(さいらん)の間」。細長く天井の高い空間で、壁にある10枚の鏡が部屋を広く見せている。白い天井と壁には、浮彫りされた石膏のレリーフに金箔が施され、明るく華やかな印象。シャンデリアも豪華であるが、建設当初からボイラーによるセントラルヒーティングで暖房完備。最新鋭の設備が、この建物には取り入れられていた。

 

「彩鸞の間」の名称は、部屋の左右の大きな鏡の上と、暖炉の両脇に「鸞」と呼ばれる霊鳥をデザインした金色の浮彫りがあることに由来する。建物内部でも、和洋折衷が高いレベルで行われている様子が手に取るように分かる。

 

 

「花鳥の間」は、公式晩餐会が催される大食堂。最大約130名の席が設けられる。

「花鳥の間」は、公式晩餐会が催される大食堂。最大約130名の席が設けられる。

 

 

(左)部屋の名前は、天井画や壁面の七宝に花や鳥が描かれていることに由来。 (右)楕円形の七宝は、明治期に七宝焼きの天才と呼ばれた涛川惣助が焼いたもの。

(左)部屋の名前は、天井画や壁面の七宝に花や鳥が描かれていることに由来。

(右)楕円形の七宝は、明治期に七宝焼きの天才と呼ばれた涛川惣助が焼いたもの。

 

 

次に案内されたのは「花鳥の間」。打って変わって、重厚な雰囲気の部屋だ。主に国・公賓主催の公式晩餐会が催される大食堂で、最大130名の席が設けられる大きな空間である。周囲の腰壁には茶褐色のシオジ材が張り巡らされ、空間全体には「アンリー二世様式」という、フランスのルネッサンス様式の装飾があしらわれている。

 

天井格子の中の油絵、壁面の中段に飾られた楕円形の七宝などには、花や鳥が描かれた。七宝は、下絵を日本画家の渡辺省亭が描き、明治期に七宝焼の天才と呼ばれた涛川惣助が焼いたものだ。

 

 

大理石の床に赤絨毯が敷き詰められた2階の大ホール。

床に赤絨毯が敷き詰められた2階の大ホール。

 

 

(左)ホールの中心には、イタリア産大理石のコリント様式の大円柱(高さ5.47m)が並ぶ。 (右)正面の左右の壁面には、小磯良平による2枚の大きな油絵が飾られている。写真は「音楽」がテーマの作品。

(左)ホールの中心には、イタリア産大理石のコリント様式の大円柱(高さ5.47m)が並ぶ。

(右)正面の左右の壁面には、小磯良平による2枚の大きな油絵が飾られている。写真は「音楽」がテーマの作品。

 

 

豪華な装飾品が待ち受ける「朝日の間」

華やかさや楽しさを増すさまざまな仕掛けも

 

いよいよメインの「朝日の間」。その前に立ち止まるのは、中央階段と2階の大ホールだ。正面玄関から入って真っ直ぐに伸びる中央階段は、床がイタリア産の大理石。その上に赤絨毯が敷き詰められる。

 

左右の壁面に張られているのは、フランス産の大理石。そして、ホール中央には8本のイタリア産の紫色をした大理石が並ぶ。高揚感が強くなっていくことを感じられるだろう。

 

2階大ホール正面の左右の壁面には、2枚の大きな油絵が飾られている。向かって左側は「絵画」、右側は「音楽」というテーマで、小磯良平によるもの。昭和の大改修の際に設置されたもので、絵に描かれた若者のジーンズ姿が格式高い場にふさわしいかどうかが議論されたが、建物の将来性と重ね合わせて採用されたという。

 

 

今回、特別公開された「朝日の間」。国賓、公賓の表敬訪問に使われるなど、最も格式の高い部屋。

今回、特別公開された「朝日の間」。国賓、公賓の表敬訪問に使われるなど、最も格式の高い部屋。

 

 

「朝日の間」の名は、天井画に描かれた「朝日を背にして女神が香車を走らせている姿」に由来。今回、天井画の改修のため2年間、閉室になる。

「朝日の間」の名は、天井画に描かれた「朝日を背にして女神が香車を走らせている姿」に由来。今回、天井画等の修復のため2年間、閉室になる。

 

 

床には紫色を基調とした桜の花が織り出された、緞通(だんつう)が敷かれている。

床には紫色を基調とした桜の花が織り出された、緞通(だんつう)が敷かれている。

 

 

(左)壁面には京都西陣の金華山織(きんかざんおり)の美術織物が張られ、空間を引き締める。 (右)窓からはライトアップされた主庭の噴水池が見える。

(左)壁面には京都西陣の金華山織(きんかざんおり)の美術織物が張られ、空間を引き締める。

(右)窓からはライトアップされた主庭の噴水池が見える。

 

 

油絵の間を通り、「朝日の間」に入る。天皇皇后両陛下と国賓の御歓談や首脳会談等の行事が行われるなど、最も格式の高い部屋である。壁面に巡っているのは、16本の円柱。ノルウェー産の「ノルウェージャンローズ」という、上品なピンク色をした大理石でつくられた。

 

その色彩に呼応するように、床には明るめの紫色の緞通(だんつう)が敷かれている。紫色を基調とした47種類の糸を使い分けて桜の花が織り出されたといい、華やかながら落ち着きのある雰囲気が醸されている。そして、壁面には京都西陣の金華山織(きんかざんおり)の美術織物が張られ、空間を引き締める。

 

「朝日の間」という名称は、天井に描かれた「朝日を背にして女神が香車を走らせている姿」の絵に由来する。この絵には桜も描かれていて、床の緞通にあしらわれた桜は、天井絵画の中の花びらが舞い散った様子を表しているという。同じ空間の異なる部位を用いて、移ろいゆく時の流れも表現しているのである。華麗としか言いようがない。

 

この天井絵画は、下地の木目に沿った線が浮き出るなど劣化がみられたため、現在は修復に入った。緞通も、改修を機に更新される予定。約2年後に「朝日の間」が再び私たちの目に触れるとき、どのように鮮やかさが増しているのか、今から楽しみである。

 

 

「羽衣の間」のシャンデリアは迎賓館で最も豪華なもの。約7000個の部品で構成され、高さ3m、重さは約800kgある。

「羽衣の間」のシャンデリアは迎賓館で最も豪華なもの。約7000個の部品で構成され、高さ3m、重さは約800kgある。

 

 

(左)「羽衣の間」の名は、謡曲の「羽衣」の景趣が天井に描かれていることに由来。 (右)壁にはバイオリンなどの楽器や楽譜をあしらった石膏の浮彫りが飾られている。

(左)「羽衣の間」の名は、謡曲の「羽衣」の景趣が天井に描かれていることに由来。

(右)壁にはバイオリンなどの楽器や楽譜をあしらった石膏の浮彫りが飾られている。

 

 

最後に通されたのは、「羽衣の間」。名称は、謡曲の「羽衣」の景趣が天井に描かれていることに由来する。約300㎡という大きな曲面に描かれ、職人たちの労力が窺い知れる。

 

壁は、バイオリンなどの楽器や楽譜があしらわれた石膏の浮彫りで飾られ、楽しい雰囲気だ。当初はこの部屋は舞踏会場として設計されたため、正面奥の中2階がオーケストラ・ボックスとなっているつくりが面白い。

 

建物全体を通して感じるのは、絢爛豪華で格調高い雰囲気だ。国際交流の中で、日本という国家の姿を発信する場として今でも有効だろう。竣工後100年経っているにもかかわらず、格調高さが引き継がれていることに驚く。

 

その理由は、保守管理や大改修が行われていることもあるが、元のつくりがしっかりとしていることに他ならない。構造やプランを練った建築家や技術者、また腕をふるって和洋折衷の装飾を昇華し融合させた職人の熱量が、今でも建物から生き生きと感じられるのである。ぜひホームページで日程を確認のうえ、その姿を体感していただきたい。

 

(取材・文/加藤 純、写真/川野結李歌) 

 

 

美しくライトアップされた迎賓館赤坂離宮。

美しくライトアップされた迎賓館赤坂離宮。

 

 

迎賓館赤坂離宮

住所:東京都港区元赤坂2-1-1

電話:03-5728-7738(テレフォンサービス)

※迎賓館赤坂離宮の一般公開について

http://www8.cao.go.jp/geihinkan/koukai.html

 

21加藤純(かとう・じゅん)

編集者・ライター。1974年大分生まれ、東京育ち。1997年東京理科大学工学部第一部建築学科卒業、1999年同工学研究科建築学専攻修士課程修了。日本の戦前期における集合住宅の復原的研究を行う。(株)建築知識(現・エクスナレッジ)『建築知識』編集部を経て、2004年よりフリーランス、CONTEXT主宰。

 

『日本の不思議な建築 101』(エクスナレッジ刊・価格1800円+税)

今回、執筆した加藤 純氏が単行本を発行。一見すると「なんだろう?」と思わせられる不思議な建築物について、斬新な視点で撮り下ろした写真と、丁寧な解説と批評文で紹介しています。

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